フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

すずか 静岡大学
 
私はこの一週間のボランティアを通して今までの自分の先入観が大きく変わりました。
 
スラムやゴミ山といって自分が想像していたものは汚かったり、暗かったり、貧しい=暗い、悲しいというものでした。
しかし、実際にスラムで見たものは子どもたちの笑顔でした。
 
 
私たちボランティアの日本人が現地に着くと、かけよって来て、おんぶ、だっこ、ジャンプ、みんなで折り紙、ダンス、歌、なわとび、言葉は分からないけれど、一緒に遊んでいると私も子供も全力でした。
 
 
一緒に遊ぶのに、お金の壁も言語の壁もありません。
 
空気が汚かったり、ゴミが溢れかえってるゴミ山でも、そんなことを忘れてしまう楽しい時間を子どもたちと過ごすことが出来ました。
 
 
 
何より凄いと思ったことは、子どもも大人も幸せ?と聞くと、幸せと即答するところ。
 
経済的にはもっと豊かな日本人でも幸せかと聞かれると、もっと上の幸せがある気がして、即答できないように思います。
 
 
毎日ご飯が食べられる私にとっての食の幸せは美味しい料理や、少し高級なディナーを食べたとき、毎日洗濯したきれいな洋服が着られる私にとっての幸せは新しい服を買ったとき、当たり前を幸せに思えなくなっていると感じました。
 
私たちの当たり前とスラムのみんなの当たり前は違う、だからこそ、支援の形も考えなくてはならないと思いました。
 
 
 
私たちがテレビを通して感じた同情が生み出す支援は、生で見て感じたときに考える支援とは異なっていると思います。
 
可哀想だから学校に行かせてあげたいという気持ちは間違ってはないと思うけれど、現地の子どもたちの言葉で学校に行きたい気持ちや、行けない理由を感じ取ってする支援は違うと思います。
 
 
 
私が今回訪れたスラムの人は私たちに対して、とても好意的な対応をしてくださいました。
 
私は決して英語が得意ではないけれど、「ハロー」「サンキュー」「サラマ」「ハーイ」これで十分幸せな気持ちになれました。
 
スラムの人にとって私たち日本人はどう思われてるのかな、裕福で羨ましい、ずるいといった気持ちがあるのかな、と積極的に関わることが初めは怖かったです。
 
だから家庭訪問して、日本のことを聞かれたり、日本に行きたいと言ってもらえたり、ありがとうと言われたり、家族といれて幸せという言葉を聞くと、私のほうが嬉しい気持ちになれたし、胸がいっぱいになりました。
 
素敵な人がいっぱいで、セブ島での人との出会いが心を暖かくしてくれました。
 
治安に関しても、貧しいからといってスリをする悪い人ではなく、貧しくても支えあって協力している人が多かったです。
 
 
 
同じスラム内でも洋服が汚かったり、家の中も差があったりするのを感じました。
 
しかし、それを妬んだり偏見を持ったりする様子は見られませんでした。
 
家事や仕事を手伝ったり、弟や妹の面倒を見たり、家族を大事にしているのが伝わってきました。
 
 
でも、ゴミ山で生まれた子どもはずっとゴミ山での生活しか知らないし、ストリートチルドレンもその生活が普通になってしまいます。
 
一緒に青空教室をしたとき、日本語に興味を持ったり、ビサヤ語を教えてくれたり、知的好奇心にあふれてる能力のある子どもたちだと感じました。
それが貧しいという理由で、教育を受けられない子がいて、繰り返されていく現状は悔しいです。
 
 
 
何が出来るのか、この一週間ずっと考えさせられました。
スラムの子どもたちは暗くなかった、明るかった!からといってそれで良い問題ではないです。
 
幸せとはなんだろう?ということを考え直すきっかけをくれた、スラムの人の優しさや明るさ、見て感じた住環境の厳しさ、家族の温かさ、この一週間は私にとって何もかもが貴重な体験でした。
 
 
たくさんのことを学ばせてくれたセブ島は、決してリゾート地ではなく、汚い海やゴミ山を見たけれど、私よりもずっと笑顔でパワフルなスラムの子どものおかげでセブ島が好きになりました。
 
 
行ってみないと分からない、点在するスラムを見て、テレビのドキュメンタリーの裏側には、笑顔や温かさがあることを知りました。
 
「サラマ!!!」
 
 
 
 

2019年2月21日~27日
 
 
 
 
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