フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

ももか 横浜医療情報専門学校
 
グローリアセブのボランティアに参加して、海外に行くことも初めてだったのと、英語を話すことができないので、正直自分に何ができることがあるのかとても不安でした。
 
 
実際に活動して、2日目の活動から驚きでいっぱいでした。
 
山岳地域の貧困を訪問して、全然言葉は伝わらないけれど、子供たちが懐っこく集まってきてこんなにも見ず知らずの私にも警戒なく来てくれて、行く前にもっていた不安が一気に無くなったし、子供たちから来てくれたことで逆に自分から関わっていこうという思いにさせてくれました。
 
 
ですが、こうして初めて自分の目で貧困の地域の現状を見て、日本では見たことのない景色・匂い・暮らしだったりと、こういった場所で生活している人たちがいると実感し、言葉になりませんでした。
 
 
強制移住命令で山岳に移り、住まざるをえないけれど、仕事がないとお金にならないし、生活するためにまた街へ降りてきて仕事を見つけるという事を繰り返す方法しか手段がないから、減らすことができないという事を知りました。
 
 
 
家庭訪問にいった時にインタビューで「大家族に囲まれ子供たちが元気に学校に行き、健康に過ごすことが幸せだ」と言っていて、幸せの定義は人それぞれだと感じました。
 
私は学校に行くのも当たり前で、ご飯を毎日食べられるし、どこか具合が悪くなれば医療機関にいくことは普通で、何も感じず、ただ毎日を過ごしていました。
 
そのことがスラムの人々にとってはどんなに羨ましく、価値があることだろうと思いました。
 
 
しかし貧困だからと言っていつも暗く過ごすというよりも、周りの人々と協力し、お互いが支え合って暮らしをして、お金では変えられない人柄の良さもすごく価値のあるものだと思いました。
 
 
 
子供たちにも夢を聞いたら、歌手、ファッションデザイナーや先生という具体的な目標を持っているけれど、その夢を叶えるための手段が漠然として、結果夢を持つだけでかなえたくても叶えることができずに大人になって夢が途絶えてしまうことがほとんどでしょう。
 
そう思うと環境を変えてあげたいけれど、それは難しいことなので、物資の支援や友達とかに声をかけて集めるしかできないことなので少しずつでも行動していきたいです。
 
 
 
ゴミ山を初めて実際に訪れて想像を遥かに超えるほど景色に圧倒しました。壮大なゴミ山の中から、お金にはなるものを見つけて生計を立てる。でも実際には大したお金にはならない。けれどそれしか生きていく方法を知らないから、毎日ゴミ山へくることが日常です。
 
そんな日常を自分と比べると本当に胸が張り裂けそうな感情でした。
 
 
ゴミ山でも子供たちと交流して元気いっぱいで遊んでいるのは無邪気でとても可愛らしかったです。
 
しかし、遊ぶところもゴミ山と区別がなくて活動をしている時でも、足場が悪くて怪我をしそうで怖かったです。
 
 
また、ゴミの中にはガラスだったり危険なものがさらにあるはずなのに、サンダルや素足で遊んだりいている様子を見て、けが以上に衛生面の心配がありました。
 
バイ菌が入って病気にかかりやすい可能性が高くなります。
もし病気になってしまってもお金がなくていくことができません。
 
悪循環でしかないと思いました。
 
 
遊び場がないからゴミ山の中でできる遊びを見つけて遊ぶことしか知らずに時が過ぎてしまうことが受け入れ難い現状でした。
 
 
 
いろんな環境のスラムの暮らしを見て、家があっても火事や、自然災害に怯えなければならなかったり、土地代を払うことができないから家を建ててはまた移動を繰り返すこともあります。
 
その家は日本みたいに頑丈ではないから、毎日危険と隣り合わせです。
 
 
しかし、暮らしの中で幸せを見つけて過ごす姿を見て自分がいかに恵まれた環境にいるということ、また自分よりも環境が悪くても頑張って生きているという事を全ての活動で感じて情けなくなりました。
 
それは自分を見つめ直すきっかけにもなりました。
 
 
 
もっと1日1日を大事にし、諦めそうになったり気持ちが沈んでしまった時に、この経験を生かし、自分に厳しく引き締めて生活していこうと思いました。

 
 
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