フィリピン ソーシャルボランティア体験談

智明 19歳 大学生

 

私の初の海外ボランティアだった。

私自身世界の食糧問題・貧困問題の解決を目標としていて、スラムでの生活やストリートチルドレンの様子を実際に見てみたく思い、このボランティアに参加した。

 

 

初海外ということもあり、この活動を通して、今まで地図や写真でしか見たことのなかった場所には、空間が広がり、町があって、そこに人々が生活しているということを初めて体感し、理解することができた。

 

 

行く前は治安や疫病のことを気にしていたが、思っていたより安全だった。フィリピンに住む人は気さくで親切な人が多く、時間もゆっくり流れるように感じられた。

 

麻薬や銃の密売地域、ドブ川の上に建つ集落、ゴミ山のある地区などいくつかのスラムを訪れたり、ストリートチルドレンの青空教室に参加したが、確かにそこには路上で暮らす人々や観光客に物乞い、物売りをする子供たち、痩せ細った犬など貧困層と呼ばれる人々が数多くいた。

 

 

私たちが訪れたスラムは生きることに関して危機はない程度であったが、もちろん命の危機に瀕している子供たちも多くいるのだろう。

私はこのような光景を見るとある種の同情の気持ちを抱くものだと思っていたがそうではなかった。

 

子供たちは元気に溢れていて、些細と思われることにも楽しそうに最高の笑顔で答えてくれた。何よりも全力で今を生きていると思う。

 

 

日本には物やお金があっても満足できない子供たちが多い。

セブのスラムには物やお金は無いが幸せそうに暮らす子供たちがたくさんいた。

全力で遊ぶ子供たち、一皿の配給に喜ぶ子供たちを見て、決して物質的に豊かなこと、快適な暮らしができることが「幸せ」なことではないと感じる。

 

彼らはなけなしの配給を笑顔で私に分けてくれた。

 

 

日本に住む私たちは生まれた時から偶然にも様々なことに恵まれすぎている。

しかし、見栄の張り合いや些細ないざこざ、止まらない欲求など私たちの心ははるかに貧しいのかもしれない。彼らの方がよっぽど豊かな心を持っている。

 

恵まれた環境を当然としていた自分への戒めとしても、「幸せ」とは何か、を考え直す良い機会となった。

 

問題なのは、それらの環境が生まれた土地や家族の環境によって決まってしまうこの現実だ。

家庭訪問をした子供たちは医者、教師、兵士などそれぞれ夢を持っている。しかし、努力してもその機会は全く平等には与えられない。

 

 

ストリートチルドレンの子供はストリートチルドレンといったように代々環境は継続していき、個人の力では変えられない状況が確かに存在する。

そこには教育ももちろんだが、社会的な面や宗教の考えなど、思っていたよりも複雑な要因が絡み合っていることを知った。

 

 

必要な努力をした子供たちが夢を叶える可能性を持てる社会にするためには何から変えていけばよいのか全くわからなくなった。

大量の金があれば、その土地を買い取って家を建て替え快適な暮らしを提供することができるかもしれない。

 

でもそれは根本的な解決にならないし、それが彼らにとっての幸せに繋がるとは限らない。

グローリアセブのように現地を訪れ、人々に本当に必要なことを考え、実施していくことが大きな社会を変える上でも最短の道なのかもしれない。

 

 

この3週間は本当に全力で学び、全力で考え、全力で遊び、全力で人と関わったボランティアだった。

 

国籍問わず様々な人々と仲良くなり、自分を受け入れてくれる人、自分にとって大事な人もできた。もちろん色々なことを深く考えたが、それ以上に楽しいと感じることの方が多かった。

 

 

私たちの環境とスラムに住む彼らの環境、どちらが優れていて、真に豊かなのかは私には分からない。

でも、子供たちが夢や機会をある程度平等に得ることができる世界にしたいと私は思う。

 

フィリピンでのボランティア活動を通して宗教や文化、社会についてもっと学ばなければならないと感じた。

 

今回感じたことを生かし、この世界についてより深く考え、自分の目標に取り組んでいこうと思う。

 

2016年2月28日~3月16日
 
 

 
 
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