フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
俊作 創価大学 2年
実際に現場に行かなくても分かることはたくさんある。
一方で、現場でしか知れないこともたくさんある。
今回のフィリピンのボランティアを通して、1週間という極めて短期間ではあったが、私は、後者における学びをたくさん得られたのではないか、いや、得たと確信している。
その中でもとりわけ私の心に今でも強く印象に残っている1つの経験がある。
それはゴミ山視察の際に出会った。
まだコミュニケーションもろくに取れない小さな子どもだった。
私はもともと全裸で姿を現したその子どもが少し気になり、その後、様子を見てみようと考えた。
彼はその後、大きめのサイズの服を上からかぶり誰と遊ぶわけもなく、1人でトコトコと歩いていた。
しばらくその子の跡をつけているとその子も私の存在に気付き、ゆっくりと寄り添って来た。
そこで私は彼にちょっかいを出し抱っこしたりもした。
すると彼は笑顔になりとても楽しそうな雰囲気を出していた。
しかしそれは一時の感情に過ぎず、私がちょっかいをやめると、彼は再びどこか遠くを見つめて複雑な表情をしていた。
その表情を見てまだ幼いにもかかわらず、自分の人生の暗さや目の前の苦しい生活に嘆いているようなそんな印象を受けた。
そしてしばらくすると彼の父親らしき人が自転車でゴミ山に帰ってきて、私たちの横を通り過ぎる瞬間、その存在に気付いた彼は「パパ」と大きな声で叫び、私をそっちのけにして全力で父親の跡を走って追いかけていった。
父親は自転車で奥の方まで入って行き、子どもはそれをとにかく追い続けている様子を私はしばらくただ眺めていた。
そして2人は奥の方に消えていった。
この光景を通して私は子どもにとって「親」の重要性をひどく痛感した。
当たり前のことかもしれないが、20年間親にしっかりと育ててもらった自分にとっては、あまりに印象的なシーンであり、「子ども」に強く焦点を当てていた自分にとって何か忘れてかけていた大事な物を思い出させてくれるような体験だった。
この体験を通して、今後私が途上国の教育問題に携わる際に「親」という存在は絶対に外してはいけないなと感じた。
両者は共に成長する存在であり、いわば同一体と言っても過言ではないだろう。
世間一般では当たり前の事実だが、私はその常識をスタートラインにこの「経験」を通してようやく立てたのだと実感している。
最後にこのセブ島のボランティアで支えて下さった全ての人々に感謝し、今後の自分のさらなる成長につなげていきたいと思う。
2017年3月16日~22日
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