みなみ 立教大学2年
グローリアセブのボランティアに参加したきっかけは、このままずっと日本にいたのでは知らない世界を知らないまま終えてしまうと感じたため。
大学生のうちに大学の講義やテレビの中だけでしか見たことがない場所を、自分の目で見たいと思ったためです。
初日の墓地スラムを説問したとき、多くの子どもたちが明るく迎え入れをくれて安心したし、私たち日本人の力を必要としてくれているのも伝わりました。
生活環境は決して良いものではなく、子どもたちの周りにハエが飛んでいたりと、 彼らにとって当たり前になっているかもしれないけど、私たちの力で改善できることはないのかと考えさせられた。
生活環境に関連してフィリピンのゴミ問題にも関心をもった一週間だった。
子どもたちにごはんの配膳活動をしていても、出たゴミをそのまま床にポイ捨てしてしまったり、 街の中にもゴミが落ちている光景をたくさん見かけた。
川の上のスラムに行ったときに、川にはたくさんのゴミが浮いていて水も汚れていた。
洪水のときには川の水位が胸の位置まで来るということは、家の中に濁った水とゴミが流れ込んでくるということだろう。
きれいな水、清潔な街は、人々の健康状態や生活のしやすさい大きく影響すると思うので、帰国したらゴミ回収システムなどを調べてみたい。
しかし、ゴミ山のスラムでは、ゴミが大切な収入源で、生活の一部になっている人たちを目にした。
ゴミを燃焼するシステムができたとしたら彼らの生活を奪うことになるかもしれないと考えま、とても難かい現実なのだと思った。
また、学校に行けなかったり、お金の事情などで学校を辞めてしまった子どもたちは外の世界を知らず、選択肢のないまま将来、親の仕事を継ぐことになると知り、教育の重要さを改めて感じた。
グローリアセブの奨学金で学校に通っている子どもたちは英語が流暢だったり、中には日本語も話す子がいるなど、学校に通っていけない子どもたちと比べて違いが見えた。
また、学校に通っている子どもたちに将来の夢を聞いた時には、CA、先生、警察館など、広い職業を言っていたのを見て、将来の夢を与えるのは教育なのだと実感した。
また、日本との違いとして、コミュニケーション力はフィリピンの強みであると考えた。
日本では、他の人と深く関わりすぎないというのが礼儀だという暗黙の了解があるが、フィリピンでは知らない人同士でも会ったら友達になろうとする姿勢が見えた。
座学が一番身に付きにくい教育である一方、他の人とコミュニケーションを取りながら学ぶ教育は最も身につくものだと思う。
フィリピンは、奨学金制度や学校の数が整い、誰もが学校に通えるようになれば非常に高い教育水準になると思う。
そのためには私たち一人一人が見て見ぬふりをせず手を差し伸べていきたいし、この現実を広めていきたい。
とても勉強になる一週間だった。
2024年3月
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