善意から行われる無償の奉仕……
そのように、すっかり良いイメージのついた「ボランティア」。
しかしその高尚なイメージは、ボランティアの本当の姿なのでしょうか。

ボランティアに対する、無条件の肯定による弊害はないのでしょうか。

改めて、ボランティアとは何かについて考えてみました。

なぜ、人はボランティアをしようと思うのか

人がボランティアを志望する動機、理由は何でしょうか。

「何か変わったことをしてみたい」かもしれないし、「自分の価値観を変えてみたい」かもしれません。
もしくは「困っている人の助けになりたい」かもしれませんね。

(福)全国社会福祉協議会が行った全国ボランティア活動実態調査によると、ボランティア活動参加の動機としてもっとも多かったのが「自分自身の関心や趣味の活動から自然につながった」で全体の約4割、
つまり、個人的興味によるものでした。

続いて多かったのが、
「社会やお世話になったことに対する恩返しをしたかった」
「地域や社会を改善していく活動に関わりたかった」
「地域や社会を知りたかった」
で、いずれも全体の3割以上という結果に。

誰か・何かに対してサポートしたい、という目的を持つ人も多いことがわかります。
 

日本におけるボランティアとは、いわゆる無償の奉仕というイメージが強く、そのためどんな理由・動機で志望するにしろ、多くの人から「良いこと」だと思われています。

しかし、それは本当でしょうか。

私達は、「ボランティアしよう」と思ったとき、それが本当に「良いこと」なのかどうかを、改めて考える必要があるのではないでしょうか。

 

セブ島ボランティア

「#被災地いらなかったものリスト」

「#被災地いらなかったものリスト」というハッシュタグをご存知でしょうか。

実際に被災した人の声として2013年頃にSNS上で話題になり、それが2018年に起きた西日本豪雨の際に改めて注目されました。

リストには、
・千羽鶴や寄せ書き
・生鮮食品
・季節外れの服やボロボロの古着
などといったものが挙げられています。
おそらく、これらの大半は人々が善意で「良いこと」として被災地に送ったもののはずなのです。

しかし実際はどうでしょうか。
被災したばかりで衣食住すら不十分な避難所に届く大量の千羽鶴、届くまでの間にすっかり腐ってしまった生鮮食品、親しい知人には絶対にあげられないような古びた衣服……。
 

結果として、「いらなかったものリスト」に挙げられてしまうのも、無理はないように思えますね。

私達は知っているはずです。
誰かに何かをしてあげることが、必ずしも相手にとって「良いこと」とは限らないのだと。

それがなぜか、「ボランティアだから」と理由付けされると、無条件で良いことだと思いこんでしまいます。

中には、「よかれと思って、せっかく送ってあげたのに!」と腹を立てる人さえいます。

このような気持ちの行き違いが起こるのは、「ボランティア」という言葉が持つ高尚なイメージに問題があるのではないでしょうか。
 

無意識のうちに、ボランティアなのだから喜ばれるはず、感謝されてしかるべき、という気持ちが生まれてしまうのです。

サポートする側も、される側も、同じ人間

サポートする側とされる側の気持ちに行き違いが起こるもう一つの要因として、サポートする側の想像力が足りないことが考えられます。

これは、「何かをしてあげたい」と自分中心の視点でだけ状況を見ていると、起こりうる問題です。

サポートを必要としている場所にいるのは、自分ではありません。
だからこそ正しい情報を集め、想像力をはたらかせ、広い視野を持って、サポートを受ける人にとってのベストを探らなくてはならないのです。
 

ボランティアをする際には、サポートされる人も自分と同じ人間なのだという、当たり前の意識を忘れないようにしなければなりません。

 

セブ島ボランティア

リゾート・セブ島の持つ光と闇

一方、海外へのボランティア志望の場合はどうでしょうか。

本当に人のためになることをしたいと思ったら、相手の気持ちになって考えることが大切。
でも、日本国内の被災地へのボランティアと違い、現地の情報も多くはありません。

そこで重要なのが、自分の目で見て、聞いて、知ること。
そうでなければ、現地の人がどんな生活をして、どんなサポートを必要としているのかはわかりません。
そしてその「現実を体感する」ことも、一つのボランティアです。

たとえば、リゾート地として有名なフィリピンのセブ島。
一見華やかなイメージがありますが、それはセブ島のほんの一部でしかありません。

実際にはセブ島は激しい格差社会で、ゴミ山で暮らす家族や路上で物乞いをするストリートチルドレンなど、多くの問題を抱えています。

 

リゾートとして世界各地から観光客がやってくる反面、現地には食べるものや着るものも満足に手に入らない人が大勢いる。
まさに光と闇、くっきりとした二面性のある場所なのです。

……と聞くと、どう感じるでしょうか。
「子ども達がかわいそう」「毎日、苦しくてつらい生活を送っているんだろう」そんなふうに、マイナスなイメージばかりが湧いてくるかもしれませんね。

かわいそうだから、手を差し伸べてあげなくては。
困っているから、助けてあげなきゃ。
そう思うのは決して悪いことではありません。

でも、まずは本当のことを知って、そのうえで現地の人が望んでいることを知ることが先決。
でなければ、「#被災地いらなかったものリスト」と同じ道を歩むことになりかねません。

 

ボランティアはコミュニケーションである

実際にボランティアへ参加した人からは、「行く前のイメージとは違っていた」という声が聞かれます。

確かにゴミ山で暮らす家族も、ストリートチルドレンもいた。日本の状況とはかけ離れていて、言葉を失った。
でも……と、彼らは語るのです。

そんな毎日でも、子ども達は明るく元気に生きています。
キラキラした瞳で、将来の夢を語ります。
家族を大切にし、お互いに支え合い大切に思い合って暮らしています。

 

現地の人達との交流は、ともすれば私達日本人が忘れかけている、人と人とのつながり、絆といった大切なものを思い出させてくれるのです。

もちろん、助けを必要としている人はたくさんいます。
その人達に対して何ができるのか、日本へ帰ってからどんな活動をしていけばいいのか、それについて深く考えるきっかけをくれるのもボランティアです。

ボランティアを通して、サポートする側にも必ず変化が訪れます。
それは学びであったり、感動であったり、発見であったりするでしょう。
 

ボランティアは、一方通行では成り立ちません。
サポートする側とされる側という立場の違いはあるものの、人と人との交流、コミュニケーションなのです。
 

その意識を持って、改めてボランティアについて考えてみませんか。

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