フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
麗真理 獨協大学
私がフィリピンでボランティアをしようと思ったきっかけは、海外ボランティアをしてみたかったという考えと10年間フィリピンに暮らしていたため最初にボランティアをしたいと決心していました。
“セブ島”はほとんどの日本人が綺麗な海や、娯楽だと想像していると思います。
実際、私もそう考えていました。
だけどこのソーシャルボランティアで考えが180度変わって、自分は何も知らなかったんだなと思い知らされました。
1日目では山のスラム街に行き、子どもたちが明るく出迎えてくれて、ダンスや歌などを披露してくれて、その後動物の絵を一緒に描きました。
最初、子どもと上手くコミュニケーションを取れないかと不安でしたが、子どもが英語などで話してくれて、たまにビサヤ語でわからない言葉などで話して来る子もいましたが、私に上手くジェスチャーなどで説明してくれて、日本人と関わってすごく楽しそうで嬉しそうな笑顔をみて私まで満面な笑顔になりました。
将来の夢を聞いたらちゃんとした答えが返ってきて、行きたい国とかも聞いたら日本や韓国などの答えが返ってきて、子どもたちはそれらの夢のために今一生懸命勉強して生きていると感じました。
2日目では教会へ行きダルマさんを踊りました。
子どもたちの目線を感じ間違えた時に、子どもは何も言わず、ファイトポーズをしてくれました。
一緒に踊れてこっちまで疲れを忘れ楽しく踊ることができました。
青空教室では、普段生活費のためにお土産を売り生活している子どももいて小さいのに苦労してると思いました。
でも日本語、ビサヤ語、タガログ語も話すことができていて、成績なども良くて自分が恥ずかしくなりました。
山の集落では海から強制移住される家族が集まっていて、でも海のスラムの人に聞いたら山の方が安全だと言っていました。
海は便利ですけど生活的には山への移住を望んでいる人たちもいるなと思いました。
3日目のゴミ山では臭いとハエの量をあの短時間で耐えることが精一杯なのに、そこに住んでいる人たちはあれが毎日の当たり前であって、選んでそこに暮らしているわけではない。
そう思うと私たちはすごく恵まれていると改めて感じました。
4日目の小学校では元気いっぱいの子どもたちと遊んで、ゲームを教えてくれました。
そこにいる子どもたちの中ではスラム街に住んでいる子や、集落などで暮らしている子たちに見えませんでした。
私たち日本人の当たり前とフィリピン人の当たり前は全く違うと聞いて、私の考えはこのセブでのボランティアを通じて良くなってきたと思います。
インタビューなどでは、母親たちが幸せを感じるのはいつですか、との質問で家族が全員揃っている時と返事してくれました。
私はこれを聞かれたら、買い物などの答えを出しちゃうと思います。
これからは自分がどれだけ恵まれているかと、これからどうやってフィリピンや他国の子どもたちや母親を支援することができるんだろうと考えながら日本での生活を過ごしたいです。
2017年8月31日~9月6日
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