フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

奏澄 日本大学 2年

グローリアセブのボランティアに参加した理由は、昨年の夏に参加した、子どもたちが一週間無人島で自給自足するのを一緒に達成することを目的としたボランティアが影響している。

それまでずっと東京で暮らしていた自分が兵庫県の無人島で共通点も殆どない人達と知り合い、仲を深めることに面白さを感じた。

そして、以前から海外へ行きたいと強く思っていたため、このグローリアセブのボランティアを機に国籍も言語も違う人達の暮らしを知り、自分なりに仲を深め、日本国内では得られない価値観を得たいと考えた。

結果から言うと、わずか一週間という短い期間ではあったが、多くの知識、価値観、これからの人生へのモチベーションなどを得ることができた。

大変、有意義な時間を過ごせたと心から思う。

まず、今回のボランティアのテーマの一つでもある、フィリピンの貧困地域に住む人々の暮らしを知ることに関しては、驚くようなことがいくつもあった。

貧困地域(スラム街やゴミ山)に行くまでは雰囲気は暗く、そこに住んでいる達も元気がなく、犯罪が横行していると勝手に思っていた。

しかし、実際に行ってみると印象は大きく変わった。

まず、向こうの人達から元気に笑顔で元気に挨拶してくるのだ。
日本では有り得ない光景を見ることができた。

フィリピンの貧困地域に住む人たちも含めて、多くの人々がフレンドリーで暖かさのある人達だと感じた。

自分から会話を振っても笑顔で応じてくれて楽しく会話をすることができた。

日本では「この人冷たいな…」と感じる場面が多くあるためか、フィリピンの人達の社交性やコミュニケーション能力には見習うものが多くあった。

さらに、驚きであったことが、協調性もあるなと感じたことである。

今回のボランティアでは子ども達にも食事配給をする機会が多くあったが、子ども達は皆、与えられたご飯を食べていた。

貧しい子供なら、他の人のご飯を勝手に取ったり、無理矢理多く貰おうとしたりすると思っていた。

しかし、このようなことをする子供を私は全く見なかった。

「貧しい人はケチであり、協調性はない」と強い固定概念を持っていたが、大きな間違いであると気が付くことができた。

こういった間違った固定概念を持っていたことに大反省するくらい感銘を受けた。

また、犯行現場を見るといったこともなく、印象よりずっと安全であると感じた。

自分は日本という安心安全な国に生まれて良かったと思っていたが、他の国に行ってない人間がイメージで他国を危険な国と認識すべきではないと思った。

初めて海外へ行ったが良い意味でも、悪い意味でも自分が当たり前だと思っていたことがそうではないと強く感じた。

また、ここまでフィリピンでの良かった出来事、印象を書いてきたが、考えなければいけない負の現状にも目を向けなければいけない。

まず、貧しい地域に住む子ども達はもう敷かれたレールの上しか歩けないということだ。

「夢は日本に行くこと」と言ってくれる子供も多い事から分かるように、その場所から離れて暮らすことは大変難しいことである。

生まれた環境によって選択肢が限りなく少なくなってしまうことが現実問題としてある。

多くの子供は親の仕事を引き継がなければいけない。
生まれた環境が原因で将来の選択肢が無くなってしまうのは酷い話であるが、それが現実である。フィリピンに住む大人や子供も言っていたが政府はとても不平等なのである。

だから貧困の格差が激しく、高層ビルのすぐ近くにスラム街があるという状況になっているのである。

政府の都合による不公平さが、子供達の人生が、生まれた環境によって決まってしまうのだ。

私は今、大学生であり、これからの努力次第では人生をより良くすることができる環境にある。
フィリピンの子供達が勉強熱心なことと比べて、自分は自分に甘いと感じた。

今まで以上に学ぶことを貴重だと思わなければいけない。

今回のボランティアを機に自分の足で色々な国に行きたい、沢山の人達と触れ合いたいと感じた。

そのためにも勉強をしなければいけない。
まずは世界的に使われている英語を体言的に学習したい。

2023年3月

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