夏生 近畿大学3年

僕がグローリアセブのボランティアを通して特に強く感じたことは、スラムに住む人々との触れ合いの楽しさと自分の想像していたスラムでの生活と実際の生活環境とのギャップの二つである。

僕が想像していたスラムの人々は、生活も心も貧しく、配給される食べ物を取り合い喧嘩が絶えないところだと思っていたが、実際に会ってみるとそんなことは一切なく、配給の列には順番に並び、小さい子供に順番を譲り、さらには自分の残ったご飯をお腹が空いている子に分けてあげたりと、とても暖かい光景が広がっていた。

また現地の人々と触れ合う中で、日本人の社交性がどれだけ低いことかと痛感するほどに誰もが挨拶を交わし、話しかけてくれた。また生活環境においても、ゴミこそ散乱してはいたが、住居はもちろん家電やスマートフォンなどを持ち歩いている人も多く見られ、もともと想像していたものよりは豊かといえるものだった。

それだけでなく、家庭訪問時に現在の生活についてどう思うかを現地の方に伺った際に、どの家庭でも現状の生活には満足しており、家庭環境の改善よりも家族と共に暮らせることを何よりも願っていた。

上記をまとめると、スラム街の人々は、ゴミ問題こそあるものの、与えられた環境の中でできること、得られる幸せをしっかりと感じながら日々を過ごしており、私の中での「貧しい人」はボランティア活動中には見当たらなかった。

とはいえ、ゴミの問題は深刻であると痛感した。

ではこのような問題を解決するにはどうすればいいのか、自分なりに考えてみた。

今回ボランティアを行なった地域での共通点として、ゴミに対する考え方が日本と異なることが挙げられる。

日本では自分で出したゴミ、あるいは他人が出したゴミに関してもゴミ箱を見つけて捨てることが当たり前だが、ここではゴミはその場で捨てることが当たり前となっている。

ボランティア中、僕が出したゴミが地面に落ちてしまい、それを拾おうとしたら近くにいた子供が「No」と言ってわざわざ僕の手からゴミを取り上げ道端に投げ捨てたことや、ショッピングモールのフードコートで、食べ終わった後のゴミを自分では片付けずほったらかしにし、後で係の人がゴミ箱を持って回収しにくるといったことには衝撃を受けた。

このような差異が生まれる原因として文化の差もあるのだろうが、スラムなどの地域に関しては教育が行き届いていないことが原因に挙げられるだろう。

スラムなどの地域ではまともな教育を受けられない子供は、道徳や学問、職業に至るまでその家庭内で継承されていると聞いた。

そのためにゴミを捨てることをよしとする親の子供はゴミを平気で捨て、そのまた子供も同じ考えを持ってしまうために、ゴミが一向に減らないのだろう。

さらに、上記はゴミの扱いに関する問題点であるが、ゴミの処理に関する問題点も大きい。

それは、ゴミ山があることと、焼却炉がないことだ。ゴミ山には大量のゴミが政府公認のもと捨てられており、ゴミ山の位置する場所も、海沿いなどの発展して観光地となっている場所からは離れた山奥に位置している。

よって多雨な環境では山奥に集められたゴミが流されていき、スラムが位置する地域まで流れていく。

つまりゴミの数を減らせないどころか、ゴミを拾い集めても結局新しいゴミが流れてくるため、ゴミを片付ける重要性が薄くなってしまっているのだろう。

よって子供達にゴミの扱い方を教え、焼却炉を作ることが、問題解決の第一歩なのではないかと僕は考える。

ゴミ山にはゴミの中からリサイクルできる資源を集めて生計を立てている人たちがおり、ゴミ山がなくなると彼らは仕事を無くしてしまう恐れがあるが、フードコートでゴミを回収して稼いでいる人もいたため、ゴミの分別をする役として焼却炉内で働くことも可能なのではとも思った。

また、日本でいう京都や富山の白川郷など、その地域での古くからの暮らしが見られるスポットが観光地になることも多く、今回出会ったスラムの人々の人柄も相まって、ゴミ問題が解決すれば観光業が盛んになり、経済的にも潤ってくるのではと強く感じた。

今回僕が海外ボランティアを行おうと思ったきっかけは、友達に誘われたからという安易な理由であったが、こんなにも楽しく、また考えさせられる活動に参加できたことをとても嬉しく思う。

ここでの経験は、少しでも多くの人と共有したい。

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