るい 三重大学3年
最初はスラムのイメージは都市部から離れたところで物乞いをする人がたくさんいて子供たちの笑顔をあまり見られないのかなというイメージをもっていた。
しかし、この1週間のボランティア活動を通じて大きく今までの印象ががらっと変わった。
まず初めに訪れた墓地では普通の道の少し中を入ったところにあって知らないと気づかないだろうというところに位置していた。
車から降りた時に臭いや衛星面がはじめに目に入り、環境の悪さを知った。
虫が至る所に充満しており、気にしていたのは私たちだけで現地の人は誰も気にしていなかった。
生まれた時からそこにいる状況だったらそれが彼らの普通になるから嫌悪感や疑問を抱くことはないのだなと感じた。
また、お墓の上で寝たりしている人もいて、人の死に対する考え方を少しちがうことが見られた。
家庭訪問で一番驚いたのは配達で働いている方が一回の配達でわずか約15ペソの収入なのに、バイクを月500ペソで借りているのでほぼ収入がなかったことに驚いた。
川の上の家庭訪問では子供たちが悲しい過去をそれぞれ持っていることを知り、辛いことがあったにも関わらず笑顔で毎日自分の夢に向かって生きていることがわかった。
ただ彼らも現状に満足しているというよりは変えたい意識もあり、お金の使い道について日本の同世代の子に比べてすごく意識が高く、お金のありがたみをしっかり理解していると感じた。
青空教室は多くの子どもたちが教師という夢をもって日々勉強に励んでいる様子が子どもたちをみていて伝わってきた。
彼らは丁寧にビサヤ語を教えてくれて、自分も頑張ろうと感じることができたので、彼らには人の気持ちを動かす力がある。
そして最も印象深いゴミ山では、子ども達の服が比較的にきれいでおしゃれだったので他の地域のスラムに比べて良い環境であるのかなとアクティビティ中は考えていた。
だけど、ゴミ山の方へ移動してみるとこんなところが存在してるんだと思うくらいものすごい量のゴミがあった。
子どもたちが生活している近辺にこんなゴミ山があることは衛生面、環境面で悪影響だし、ましてやそこで生活したり、遊んでいるのでいち早く解決しなければならない問題だと感じた。
だけど、あれだけの量をこれから一体どのようにすればいいのかを考えても解決策が見当たらず、簡単に改善できる問題ではない。
また、あのゴミ山があることで一つの生活の足しを得ている人もいる。ある人にとってはあの環境がなくてはならない存在であることも考慮すべきで、現地の当時者がどうしたいかが大切である。
セブ島はリゾート地であり栄えているイメージがあったが、それは全く違い表面状のものだった。
メディアではスラム街のことよりも観光イメージをつけられているため、自分から調べることをしないとこんなにたくさんあることは知ることができない。
今回訪れた地域のような所は日本には馴染みがないため、実際に行かないとどのような状況かもわからないし、今の状況をどうするべきか考える機会はない。
そのためメディアはこのような状況を世界に発信して、多くの人がその状況を知り、考え、自分に何ができるかを考え、行動し、広めていくことが大切だと感じた。
このボランティア活動を通じて日本の外では今、どのようなことが起こっているのか実際に知ることができ、厳しい環境に置かれている子供たちの元気さを見ることができたので、自分の置かれている環境がどれほど恵まれているのかを感じ、生活を見直すことができた一週間となった。
人生においてとても貴重であり、楽しい思い出です。
2025.03.05
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