フィリピンと日本ではこんなに違う教育文化


フィリピンの小学校

教えるではなく考えさせるフィリピンの教育

平等と一律の教育が求められる日本の教育と現実的な教育が行われているフィリピンとの違い。

 

フィリピンでは先生が生徒に教えるのではなく、生徒の自主性を尊重し考えさせる教育が行われています。

 

日本と海外ではこんなに違う学校教育と教育文化について。

多様性と実践的な教育

どこにでも優秀な子供と努力不足の子供はいます。
日本では生徒に優劣を付けず一律に育てる教育が行われていますが、子供が多く貧富の差が激しいフィリピンでは一律教育は不可能。

 

何をするのも優秀な子と頑張れなかった子供をはっきりさせ、本人はもちろん周りの人へも公表します。

 

わかりやすい例が通信簿の成績。
学期末テストが終わり生徒の点数が確定すると、教室の入り口に上位20名ほどの生徒の点数が張り出されます。
一クラスは40名程度なので約半数の子ども成績がオープンに。
そこに名前のない生徒は点数が悪かったことが一目瞭然。

 

 

成績上位の生徒は学校から表彰されます。
点数だけではなく日頃の行動、協調性、積極性などいくつかの項目があり学期末にリボンやメダルを学校から授与されます。

 

 

日本の教育では考えられない文化ですが、頑張って結果を残した子にはご褒美を与え、より頑張ろうとする向上心を育成する。
成績上位の子と下位の子とでははっきりと区別します。

 

フィリピンの幼稚園

叱らない教育

フィリピンの学校では先生は生徒のミスを叱りません。
生徒が先生の指示に従わなくても授業を邪魔しない限り先生はそのまま放置します。

 

ミスをしたり授業についてこれない生徒もいますが、一律教育をしないフィリピンでは先生はそのまま授業を進め、生徒がやる気を出したらフォローします。

 

勉強についてこれなかったり授業中おしゃべりをしているだけでは先生は注意しません。
学力差と家庭環境の違いから全生徒を一律に伸ばすことは無理であり、もし学力の低い子に合わせたら高い子の向上の妨げになる。

 

グローリアセブでは幼稚園や小学校の授業にボランティアとして参加していますが先生が生徒を叱っている場面は皆無です。
子供の個性や自主性を尊重するフィリピンの教育現場。

能動的な授業

授業中多くの時間を先生が話し、黒板に書き、生徒がノートに書きとる。
このような授業は海外では行われていません。

 

もちろん教科書に沿って授業が進められますが先生は授業の冒頭数分話すだけであとは生徒に考えさせます。

 

課題を与え生徒に考えさせ、自分の意見を発表させ、他の生徒がその発表に対して自分の意見を述べる。

 

 

例えば英語の授業
生徒にテーマを与えグループになって模造紙に英作文を書き発表する。
ただのリーディングだけではなく作文に沿って劇もするんです。

 

グループで考える

自分たちの考えを相手に伝える
相手の意見を聞く

 

試験のための教育ではなく社会で役立つ実践的な教育です。

モンスターペアレントはいない

学校の先生に対して自己中心的かつ理不尽な要求をする親、モンスターペアレント。

 

うちの子は差別されている
評価が低すぎる
いじめられている

 

授業よりも親対策に頭を悩ま日本の先生。
日本の社会問題となっているモンスターペアレントはフィリピンでは皆無。

 

 

先生の存在は絶対的かつ頼れる人。
生徒の親はしょっちゅう学校を訪れ先生と話をしていますがその内容はクレームではなく教育や生活相談。

 

フィリピンでは先生は社会的地位の高い尊敬される職業です。
授業終了の時間に合わせアポなしで訪れる親からの相談を聞き、時に自腹を切って生徒の家庭を支援します。

 

 

先生の収入は低くありませんが、生徒や家庭の支援のために収入の一部が使われています。
先生が尊敬されているひとつの理由です。

 

フィリピンの保育園

順位をつけたがらない日本の教育とは大違い

コンテストやイベントが盛んなフィリピン。
週末の公園ではダンスや演奏の練習をしている人たちを多く見かけます。

 

 

彼らはコンテストやイベントの本番に向け優勝を目指し頑張っています。
日本人の感覚ですと頑張った人たちはそれで十分評価されますが、フィリピンでは順位、結果が大切。

 

 

いくら頑張ったと言っても周りの人たちと比べた結果が重んじられ相対的に良くなければ残念ながら評価はされません。
だからみんな練習も本番も一生懸命。

 

勝ては大喜びし、負ければ子供でも何が劣っていたのかをジャッジに聞いてきます。

運動会の徒競走でも順位を付けない日本とは文化が大きく異なります。

何のための教育か

教育は人を望ましい状態にさせるために心と体を教え育てること。

 

では、望ましい状態とはなんでしょう。
日本の教育は試験に合格し、まずまずの成績で社会に出てまずまずの収入を得るための教え。
平均と平等が重要視されます。

 

 

海外、特に貧困国では違います。
そもそも教育を受けることが保障されていない途上国では子供は歯を食いしばって学びます。
それは将来、収入を得て家族を幸せにしたいから。

 

貧困国では教育を受けることは当たり前ではないのです。
教育の機会を得ることができた子供たちは必死に勉強します。

 

 

グローリアセブではストリートチルドレとスラム街に暮らす19名の子供たちを奨学金で学校に通わせています。
みんな学ぶことに必死です。

 

日本人には当たり前の教育
途上国の子供たちにとってそれは当たり前ではありません。

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