フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
まりい 日本大学
大学でSDGs(持続可能な開発目標)に取り組み、安全なエネルギーを使えず、苦しむ人々について調査したことがきっかけで、グローリアセブのボランティアに参加しました。
今回が初めてのボランティアの参加で、また、発展途上国に来ることも初めてでした。
ボランティアが始まってからの毎日は、どこに行っても今までの日本での生活では知ることができてなかったことばかりに直面して、考えさせられることがたくさありました。
私の人生初めてのボランティアは、山の集落の子供たちの子供たちとの交流でした。
そこでは貧しいところに住んでいて、日本と比べてはるかに過酷な生活をしているにもかかわらず、子供たちは無邪気で、日本の子供と変わらずに生きているのだということを身をもって知りました。
貧困に苦しんでいても、家族や友人と一緒に毎日を過ごすことが彼らにとってなによりも幸せなのだとわかりました。
一方で、この活動の途中、もう一つ考えたことがありました。
それは、子供たちは喜んでくれているように見えたけど、大人たちはどう思っていたのだろうということです。
子供たちと集落を歩き回っていた時、Helloやnice meet you などと声をかけてくれる方や、笑顔でこちらを見てくれている人もいましたが、何も言わず、表情を崩さずにこちらを見ている人も少なくありませんでした。
彼らも声をかけてくれた人たちのように心で思ってくれていたのかもしれません。
しかし私は、後者の顔を見て、楽しかった子供たちのふれあいから目を覚まされるように感じてしまいました。
すべての日程を終えて、一番衝撃的で印象に残っているのは4日目のごみ山の視察でした。
テレビなどでごみ山は見たことがあったけれど、実際に行くと、その環境の劣悪さにとても驚きました。
斎藤さんからキーホルダーを売って得る収入とごみを集めて得る収入が同じという話を聞いて、たまたま自分の親がその仕事をしていたから自分もそれをして生きるしかなくなってしまった子供たちが本当にやるせないなと思いました。
もし私がごみ山で生まれていて、今ごみ山で生まれていて今ごみ山にいる彼らが日本に生まれていたら全く違う人生を送っていたはずなのに。私が今こうしていられるのは、たまたま生まれた場所が日本だったからだけなのだと痛感しました。
私はこのボランティアに参加することで貧しい暮らしをしている人たちに何か手助けができるつもりでいました。
自分がこの活動を行うことで、彼らを貧困から抜け出させることが少しでもできるのではないかと考えていました。
しかし、実際に参加しセブ島の人々の貧困を目の当たりにして、私は自分自身の無力さに気づかされました、
私一人がたった一週間、支援に携わったとしても、貧困の現状は改善されないのだと痛感しました。
そして私は、貧困をイメージでしか知らない人たちにセブ島の貧困の現状や、そのさなかでも無邪気で輝いている子供たちのことを、沢山伝えていくことが必要であると感じました。
セブのボランティアに参加して本当に良かったです。
百聞は一見にしかずとはまさにこのことだと、この活動を通して感じました。
多くの人がこのボランティアに参加するといいなと思います。
2018年8月16日~22日