ボランティア(英:volunteer)に報酬は必要ないのか?

ボランティアは善意を基本理念として、見返りを求めない無償の奉仕活動と定義されています。

しかしながら、人はなにも食べずに生きることはできず、報酬が無ければ必然的に自己負担が発生することになります。

このためいくら発展途上国の人々を助けたいと考えても、最低限、現地で生活に困窮しないだけの資金が必要です。

ボランティアには意志だけでなく金銭的余裕と時間的余裕が必須

セブのボランティア
ボランティアでは体力、つまり若い力が大きな役割を果たしますが、日本経済がエコノミックアニマルと揶揄されたバブル時期と異なり、20代、30代の収入は現象の医っとを辿っているのが現実です。

あなたはフィリピン、特にセブ島で何日生活できるたくわえがありますか?

ご両親からの経済的援助が受けられる方もいるでしょうが、親からもらったお金で現地で生活することは果たして善意のボランティアと言えるのでしょうか?

「途上国の物価なんて安いはずだ。行ってしまえばなんとかなるだろう」

などと甘い考えで飛び立ったのでは、自分の生活にも窮する生活困窮者となり、ボランティアどころか住んでいる人たちの重荷になりかねません。

人は本能的な欲求に弱いものです。

空腹に耐えかねて食べ物を盗むようなことになれば、それは現地の人々に害悪を与える犯罪者でしかないのです。

ボランティアの基本となる

  • 自主性(主体性)
  • 社会性(連帯性)
  • 無償性(無給性)

自身に経済的余裕があってこそ、成立することを忘れないでください。

有償ボランティアの存在

報酬が無いことを前提に考えられがちですが、ボランティアには交通費や食費(金銭ではなく現物支給の場合もあり)などを得ながら活動するボランティアもいます。

このケースでは実質的に対価としての報酬を得ているため、厚生労働省では「有償ボランティア」という言葉で公的に区別しており、何も報酬を取っていないボランティアからは疑問の視線を浴びるという意に反した精神的差別が存在しています。

お金も時間もボランティア活動に十分避けるだけのリソースを持ってる日本人は1割いるかいないかの程度でしかありません。

もちろんアルバイトで貯金して活動費に充てることは可能ですが、飛行機代に加え衣食住と考えると1、2か月で底をついてしまうのではないでしょうか。

ナイチンゲールでさえ否定していた報酬無しのボランティア

無償の慈悲として連想されがちなナイチンゲールですが、決して無茶な理想論者であったわけでなく「自己犠牲のみに依存する援助活動は破綻する」として、無報酬の看護組織の設立には絶対的な反対の立場を通していました。

過酷な現実を知っている人だからこその判断です。

公衆衛生や看護教育で偉大な功績を果たしたナイチンゲールは、熱意だけでは成立しないボランティア活動の真の厳しさを良く理解していたための考え方だと言えるでしょう。

報酬無しのボランティアが成立する条件

このように書いてしまうと、お金持ちの定年退職者などでない限り、本当のボランティアはできないように思えてしまいますが、そこまで壁が高いわけではありません。

金銭的な報酬は無くても、無償で使える住居が用意されたり、給食のように食事が支給されたり、風呂や洗濯も共同ながらも整えてくれるケースがあります。

どこまでが支給され、なにが自己負担となるのか、必ず事前に確認することです。

そして普段の自分の生活と照らし合わせて、レベルダウンするものが、長期にわたって手に入らなくても問題ないのかをしっかりと吟味することです。

これは自分自身のためだけでなく、現地の人たちに迷惑をかけないためにも必須事項と言えるでしょう。

報酬を得ることは恥ではない

ボランティアには誰にでもできる軽作業から、医療関係者やエンジニアなど特殊技能による奉仕もあります。

これらの特殊技能では、医薬品や建築材料など高価な原価がかなるものが少なくありません。

それらを入手するために、現地活動で少ないながらも報酬を得て、それを資金に充てることはよくある話です。

このような報酬は現地の人たちから見ても「あのひとは、あれだけのものを買ってきてくれてるんだから、お金は必要」として、報酬を得ることになんら疑問を感じたりはしないものです。

なにかを仕入れてきて、それを自分の特殊技能で付加価値を与えることができれば、そこから自分の生活費を捻出することは理想的なWIN-WINのボランティア活動と言えるのではないでしょうか。

現地で疑問視されない報酬の得方を考える発想力もひとつのボランティア活動とみなせるのです。

日本でのボランティアの報酬

海外だけでなく、国内でも地震や台風被害でのボランティア活動が盛んに行われています。

しかし日本では、

「交通費と食費で1日2,000円」

「4時間以上の労働には弁当代として500円支給」

「交通費は一律1日500円」

など、決められたルールで支給される場合が多く、完全な無報酬と言うケースは非常に稀です。

この弊害として、無職の人たちが生活のために数多くやってくることが派生したため、現在ではボランティア活動への参加者には一定の基準が設けられることが多くなっています。

テレビでボランティアに汗を流している人たちを見ると、炊き出しや支給弁当を口にしている人たちを見かけますよね。

最低限の生活は担保されているからこそ、心身ともに充実してこそ、心からの奉仕が可能と考えるべきでしょう。

報酬が無い生活の過酷さ

想像の話だけで頭を膨らませても、しょせん想像にすぎません。

1週間だけでいいので、シミュレーション的な生活をしてみてはいかがでしょうか?

具体的には、

・食事は、軽く塩を振ったゆでたジャガイモだけ。

・入浴は石鹸もシャンプーも無しで、水のシャワーだけ。

・洗濯は洗面所で水のみの手洗い。

・電化製品は、部屋の明かりだけとし、スマホもテレビも一切つけない。

・朝は5時に起床し、夜は8時で就寝。

・飲み物は水道水だけ。

・昼間は9時から5時までひたすら働く

という報酬が無くてもできそうな生活です。

これだけに限定しても、生活環境の衛生レベルは現地よりはるかに快適です。

現地ではさらに「日本語での意思疎通ができない」という精神的なストレスまで発生します。

特に女性は生理用品などについても考えておくべきでしょう。

まとめ

ボランティア活動に参加する人で、報酬が無いことに対する生活面での厳しさを考慮している人は決して多いとは言えないのが現状です。

報酬がゼロでも、自立した生活を保てるか否かを厳しくチェックしておかないと、現実とのギャップに耐えられずにすぐに帰国してしまったり、最悪、現地の人々に迷惑をかけることにもなりかねません。

自分が誰の助けも必要とせずに生活できるかという厳しい目で、自分自身を見つめ直さなくては、報酬の無いボランティアは勤まらないことを肝に銘じてください。

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