フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
かける 長崎大学
私は海外の経験が台湾しかなく、観光で行ったので街のいいとこしか見ていなかった。
海外の特に、発展途上の現状をこの目で確かめたくてこのボランティアに参加することを決めた。
日本に居ては見られない現状が、必ず見られると思ってセブに来た。
ボランティアが始まる前に街で見かけるジプニーやバイクタクシー、シャッター街や開発中の土地、たくさんの文化の違いや習慣の違いに戸惑ってばかりだった。
2日目になり初めてボランティア活動に参加し、実際のスラム街を見た。
とても衝撃的で、自分にできることは子供たちと遊ぶことだけだった。
初めは子供たちの知識や常識のレベル、考え方や言葉などなにも分からず自分が情けなく感じるばかりだった。
でも子供たちはいつものように笑っているようで、ここで初めて、過ごした人生や育ちに関係なくみんなが笑っているフィリピンの現状に触れることができた。
後に斉藤さんが言っていたが、貧困にある程度の基準はあっても幸せに基準は全くないことを感じることができた。
3日目には教会を訪れ子供たちの元気あふれるダンスや歌に感銘を受けた。
青空教室を訪れた時には、実際に物売りをする子供たち、学校に通いながら英語や教養道徳を学ぶ子供たちに触れた。
家族のために働く必死さや将来を見据える子供たちの志を見ることができて、セブの貧困から通常の子供たちの現状まで幅広い分野を知れた気がする。
またここではビサヤ語を教えてもらい、裕福だろうが貧困だろうが立場に何も差はないことに気付かされた。
4日目に訪れたゴミ山では、一番イメージを超えた世界を見ることができた。
そもそもゴミ山という概念を大きく覆すようなゴミの量、ましてやそのゴミを回収し仕事にしている人がいること、ゴミ山に生活する人々がいること全てが衝撃だった。
しかしそんな厳しい現状にいる人からも笑顔は消えず、そこにいて幸せと感じていることが分かった。
もっと自分ら比較的裕福な日本人にできることはないか真剣に考えるきっかけとなった。
ゴミ山にダイブして遊ぶ経験はこれまでもこれから先も決してないと思う。
ボランティア最終日ではひたすら遊び子供たちから多くの元気をもらえた。
総じて感じたことは大きく2つあって、1つ目は言葉の壁は微々たる壁だということである。
言葉が通じなくても、ここまで子供たちを笑顔にさせられたことは、大きな自信に繋がったし、もっとアクティブに海外を訪れてみようと思うことができた。
2つ目は育ちや環境がどうあれ、人間から笑顔は消えないということ。
勝手に抱いていた貧困な人々の暗いイメージなんかは訪れた8ヶ所どこにも存在せず、みんなが笑っていてみんなが幸せと感じていることを自分の目で確かめることができた。
もう1つ残された仕事は、この経験を周りの人に伝えイメージと現実のギャップが少なく感じる人を増やしていくこと。
それを踏まえ自分ら日本人に何ができるか、個人的にできることは何があるか、これはこれから人生生きていく上でずっと消えない課題となった。
自分の足で様々な地を訪れる重要さを再確認することができた素晴らしい7日間だった。
2019年9月
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