文音 社会人
グローリアセブのプログラムを通して痛感したことは2つあります。
1つ目は子供たちの生きていく力の強さです。
正直私はこのプログラムに参加するまで、スラムの子供たちに対して可哀想、辛いだろうなと勝手に決めつけていました。
そもそも海外ボランティアに興味を持った経緯も小学校の社会の授業で先生が世界にはご飯も食べられなくて可哀想な子供たちがいると教えてくれたことからでした。
カメラを睨みつけている男の子の顔が印象的でセブに来るまで、そんな子供たちで溢れていると思っていました。
しかし実際会った子供たちは誰一人暗い顔をしてなかったし、私が元気付けられるほど笑顔の子たちばっかりでした。
子供たちになんでそんな笑顔なの?と聞いたら「笑っていると本当に楽しいことが起こるし、家族も笑ってくれる。
みんなの気持ちが明るくなる」と言っていて、心の綺麗さと強さに胸がキューっとなりました。
どのスラムでも今住んでいるところが心底嫌いで早く出て行きたいという子は一人もいなかったのが印象的で、ここが好きとすら言える子がたくさんいたのには驚きました。
人によって幸せの価値観は違うと、なんとなく思ってはいましたが、実際目の当たりにした気がします。
他人が幸せか不幸かは他人には決められないし、その人の中にしか答えはないと痛感しました。
子供たちは食事配給の時も、他の子を気遣ったり、家族に届けに行ったり、野良犬にあげたり、自分のことより周りのことを気にかけていて、私よりずっと大人でずっと優しかったです。
しかしインタビューした子は地域で助け合っていない、仲良くはないと言っていて、ある程度の年齢になると気づくものはあって、ピュアな心も枯れていくのかもしれません。
どうか私が見た子供たちのままで、ピュアで綺麗な瞳を持ち続けていてほしいなと思います。
私が日本からできることなんてちっぽけだし、ないに近いけど、この経験をずっと忘れずにいろんな人に共有しようと思います。
学んだことの2つ目は幸せの基準についてです。
子供たちの幸せな瞬間は家族とご飯を一緒に食べること、生きがいは勉強することなど、私たちにとっての当たり前は子供たちにとっての特別で、24歳になっても答えられないような生きがい、幸せを感じる瞬間をはっきり答えられるのには羨ましささえ感じました。
ガラスのスラムで出会った女の子に「来てくれてありがとう。今日が人生で一番幸せな日」と言ってもらえて、この活動の意義を感じましたが、よく考えると彼女の幸せの基準と自分自身の幸せの基準に大きなギャップがあることに気付かされました。
日本で生まれ育った私はもう些細なことで子供たちほどの幸せを感じられることはないと思います。
でもこの当たり前の日常に感謝しなきゃと思ったし、危機感すら感じました。
ボランティアで参加したけれど、子供たちから得るものばかりで何も与えてあげられていない気がするくらい、ピュアな子供たちに学ばせてもらってばかりでした。
社会人になって、充実しているけど納得していない日々を送っていましたが、子供たちに出会い、たくさんのことを教えてもらった今、変えられる気がしています。
関わってくれたみなさんのおかげでこんなに貴重な体験ができました。
2023年9月
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