グローリアセブ インターンスタッフ体験
あかね 明治学院大学
私がこの5週間、インターンシップで学んだことをいくつかの観点から述べる。
支援とは知ること
私は今まで支援とは「物資を与えて一定の水準の暮らしができるようにすること」と考えていた。
しかし私が考える支援では、本当に重要なことが解決しない上に、とても一方的なものだ。
そのため私は、食事配給に視点を当てて考えてみた。
確かに、日々の暮らしの中で、食事の配給をすることは彼らにとって、金銭面でとても助かることだろう。
では、彼らの持ってくるお皿に食事を分け与える、それだけで終わって良いのだろうか。
結論、そうではない。
支援の本来の目的は、「彼らを知ること」という考えに、変化した。
支援を通して彼らがどんな現状にいるのか、何を本当に必要としているのかを知ることが最も大切なのである。
だからこそ、ただ作業のように食事を皿に分けて手渡すという行為は、支援に入らない。
また自国の設備の利便性をアピールすることや実感するタイミングではない。
なぜならそこに愛も優しさも、彼らを知るという気持ちもないからである。
このボランティアの活動中、私は配給することよりも彼らが食事をしている時に側で寄り添う方を大切にした。
そしてそれをボランティア生にも伝えた。
子供たちや親の食事の様子を見守ることにより、彼らの本当の姿を知ることができたように思う。
家庭訪問で「私たちには何ができるのか」という質問をした人がいた。
その回答は物でもなくお金でもなかった。
「愛を持って接してくれること、行動があなた自身の温かい心からくるものであればなんでも嬉しい」という答えだった。
だからこそ、自分の素のままで、そして愛を持って関わるようにもなれた。
彼らへの支援を通して助けられ、学びを深められているのは、私の方だったのだろう。
やりたいのは食育と栄養改善
セブ島でのインターンをする前は、今回インターンシップで活動したようなことを職業にしたいと考えていた。
例えば、「初めて海外に渡航する、またボランティアに参加する」という不安を抱えながらも、「メディアだけでは分からない部分を実際に自分の目を通して知りたい」という想いで参加するボランティア生のサポートや、ツアーの作成だ。
自分の価値観や先入観、そしてネットや写真からの情報を信頼しすぎることの危険性を学んで欲しいと考えていたからである。
しかし、今回の活動を通して、その考えが変化した。
自分の中身や性格を客観的に見ることができたからだろう。
スラム街で生活する子供たちや、その親とは自分らしく接していた。
自分自身も笑顔で、子供たちと触れ合っている時間はあっという間に過ぎ去って行った。
一方で、ボランティア生には上手く距離を縮めることができなかった。
「どのように会話をしたら良いのか、何をしたらもっとラフに過ごせるのだろうか、自分が伝えたいことはきちんと伝わっているのだろうか」と日々悩んでいた。
子供たちには表情やジェスチャーで仲を深められたが、ボランティア生とは共通の言語を話せるという私の中での壁があるのかもしれない。
この理由から、スタディーツアーを作成することや、ボランティア生を受け入れることよりも、現地に根付いた活動が自分には合っていると考えるようになった。
ずっと目指していた、自分のなりたい姿が活動の中で崩れ去った。
夢に向かって一直線だったからこそ、その事実に恐怖を感じた。
一体、私には何ができるのかと悩むようになった。
そこから日々の活動の中で、子供たちとの触れ合いのみならず、彼らの暮らしや環境などにも視野を広げることができるようになった。
5週間を終えた今、新たに自分のなりたい姿を見つけることができた。
それは「食育と栄養改善」をすることである。
活動での食事配給にて、野菜の摂取量が少なく栄養の偏りを目の当たりにしたからである。
フィリピンの人々が野菜を摂らない主な理由としては、値段が高いという金銭的な問題、そして安価で手に入るお米や揚げ物の方がお腹を満たすという点が挙げられる。
活動の中で、「あなたの将来の夢は何か」と子供たちに聞く機会が何度もあった。
先生、エンジニア、料理人など様々な夢を持っていた。
また夢を語る子供たちの目は希望や憧れでキラキラと輝いているように見えた。
しかし、夢を叶えるには勉学以上に日々きちんと食事をして健康に生きるということが前提にある。
だからこそ私は、食事の観点に目を向けサポートをしていきたいと思った。
これは、彼らの食生活を180度変えるということではない。
普段の生活の中の食事を、いかに栄養が偏らないように取り入れることができるかというところに観点を置く。
加えて幼少期の食事の大切さに気がついた。
幼少期に充分な栄養を取らなかった人が、大人になった時に、自分の子供にも同じような食事を提供するだろう。
このことから、幼少期の食事に関わることができるような仕事を目指していきたいとも思った。
貧困と幸せの定義
貧困の定義は世界銀行によると「1日1.9ドル以下」で生活していることを指す。
1.9ドルを日本円に換算すると(2020年3月現在のレート)約200円くらいだ。
普段、私は食事代、友達と遊ぶ費用、交通費などを含めて200円では生活していない。
そしてそのような生活とは縁遠いほど裕福である。
これはあくまでも金銭的な側面の定義に基づいたものである。
それでは精神的な面ではどうだろうか。
当たり前のように、欲しいものや食べたいものを手にしている私の方がよっぽど貧困だと思った。
家族と食事を囲むこと、友達と遊ぶことを幸せだと胸を張って言えること、身の回りにあるものを上手く利用して、いかにその場を楽しめるか考えていることなどから彼らの方が裕福なのである。
そしてフィリピンの人々は、国籍が違う私にも常に笑顔で挨拶をしてくれた。
理由を聞いてみると「私たちには問題が山ほどある。
それでも笑顔でいれば幸せは舞い込んでくるから」と答えた。
返す言葉が何も見つからなかった。
その後、少し真顔になってしまった瞬間に子供たちは「何か悲しいことでもあったの?大丈夫?幸せ?」と心配そうに聞いてきた。
だから私はすかさず「幸せだよ」と笑顔で答えると、とても安心そうな表情をした。
彼らには彼らなりの抱えきれない問題が山ほどある。
貧困であるが故に、悔しい思いも、やるせない思いもしてきただろう。
また自分が幸せだと感じる瞬間は人によって様々だろう。
私はいつなのだろうかと考えると、どんな場面にも共通していることがあった。
それはお金である。
お金で買う幸せに私は頼っていた。
今考えてみれば、その幸せは一瞬だけ気持ちを満たすものであり、またその幸せを求めて何かを得ようとする。
けれど本当の幸せとはそうではないのである。
「日々の当たり前にどれだけ感謝できているのか」ということがキーワードだと思った。
金銭的に貧困であったとしても、自分たちの笑顔の力で幸せを呼び込んでいる彼らの姿を忘れることはない。
また自分もそのように生きていきたいと思った。
人の温かさと愛
今回の活動の中で人の温かさにたくさん触れる機会があった。
フィリピンの人々は異なる国から来た私たちに対し、いつも笑顔で歓迎してくれた。
それは、海のスラムであっても、山岳のスラムであったとしても同じであった。
また、家庭訪問をした時「自分の家に知らない人が入ってくることは嫌ではないのか?」と聞いたことがあった。
すると彼らは「誰でも、いつでもウェルカムに決まっているよ。日本では嫌なの?なぜ?」と答えた。
彼らは、日々の生活をお互いに助け合っている。
例えば、火事で家が焼失してしまった時には、木材をみんなで集めてきて協力して建てる。
また食事に困っている人がいれば、みんなで分けるそうだ。
だからこそ、みんなで場所やものを共有するということへの嫌悪感がないのであろう。
彼らにとっては普通のことかも知れないが、私はそこに人に対する温かみを感じた。
私が熱中症になってしまった時に、小さい子供たちを含め、みんながお湯を持ってきて、クリームを使ってマッサージをしてくれた。
私はこの時のことを鮮明な記憶で覚えている。
きっと彼らの本心から来る優しさに触れたために印象深く覚えているのだろう。
フィリピンだけでなく、日本からの暖かさも感じた。
常に応援し、励ましてくれた友達や家族の存在である。
日々の中で、その存在が当たり前すぎて私は感謝することができていなかった。
大人へと成長していくにつれて、自分でできることが増えたこと、自分で決断するべき瞬間が多くなったこと、たくさんの理由から一人で抱え込んで苦しむこともあった。
しかし、人を頼ることは悪いことではないと気がついた。
自分が他人を頼る分、私がその倍以上の暖かさでその人や周りの人を包みこむことが、大切なことだと学んだ。
どんな場所であれ、常に愛することを忘れないようにしたい。
「自分を最大限に愛せることになることが重要だよ」と子供たちが教えてくれたように、弱い部分も強みも全て自分だと受け入れて生きていきたい。
自分の国についての無知
ある日の家庭訪問での出来事だった。
「どこか行きたい国はあるのか」という質問に対して子供たちは有難いことに「日本」と答えてくれた。
その理由は「日本は綺麗だし貧困の問題もない」からだった。
しかし、実際のところ日本にも貧困問題はある。
また各国へのゴミの輸出の禁止が始まったためにゴミの量は年々増加している。
そのことを伝えると一体どこにそんな問題があるのか、詳しく教えて欲しいと言われた。
しかし、私は説明することができなかった。
なぜなら、どの地域や年齢層に多いのか、あるいは暮らしの仕組み、解決策などの詳細を、何も知らなかったからである。
答えられなかった自分の無知さを恥じるとともに、海外でボランティアをしている意味を見出せなくなってしまった。
そこで、日本の状況を調べて、勉強を始めた。
するとフィリピンだけの問題だと思っていたことが、日本でも問題視されていることがわかった。
普段、ニュースのトップになっているものや、テレビの朝番組の一瞬の情報しか得ていない自分の甘さに気がついた。
ボランティア生の多くは活動を通して「日本に帰った時、自分には何ができるのか」という課題にぶつかる。
この学びによって、活動後のミーティングにおいて、日本にも同様の問題があること、そしてその問題を解決するには日々の生活での自分たちの行動がいかに重要であるかを伝えられるようになった。
しかし、フィリピンと日本では文化も生活スタイルも大きく違う。
だからこそ、どちらかに優劣をつけること、比較することなどできない。
それぞれの国に、異なる良さがあるからである。
私は、海外でのボランティアを「1つの経験」あるいは「別の国で起きていること」として、捉えるのではなく、多くのことに繋げていくことの大切さを知った。
困難があっても夢は忘れない
一度、グローリアセブのソーシャルボランティアに参加したことはあっても、今回参加したのはインターン生としてであったため、多くの不安を抱えてフィリピンに入国した。
自分たちで考えたアクティビティを子供たちは楽しんでくれるだろうか、ボランティア生として受け入れる人たちとは上手く関係性を築くことができるだろうか、と良くない予測が何度も頭の中で循環していたのを覚えている。
けれどそんな不安は、子供たちと日々過ごすことで忘れていた。
むしろボランティア生や子供たちにアクテビティをサポートしてもらっていたように思う。
人の優しさや暖かみにこんなにも触れる機会はない。
また5週間を過ごす上で私の中に「このボランティアに参加する人たちに何かきっかけを得て欲しい」という願いがずっとあった。
そのきっかけは日本でSNSを使って普及することでも、多くのことを知ろうとすることでも、なんでもよかった。
もちろんそれらに気がつくのはフィリピンで滞在している間ではなくても良い。
今後、彼らが少しでも自分の力を信じて一歩踏み出す勇気の後押しになれば良いと思っていた。
実際、その願いが叶っていたのかは直接彼らに、このことを聞いていないのでわからない。
しかし、私がインターン生としてサポートすることにより、何らかの影響を与えることができたと今、感じることができる。
また3つの大切なことを学んだ5週間だった。
「笑顔でいるから幸せになれる」
「一度決めたことはどんなにネガティブな要素があったとしても迷わない」
「どんな困難があったとしても夢を持つことを忘れない」
ということである。
私もボランティア生と同様にここで過ごした日々や経験を忘れることはない。
勇気を振り絞って応募してよかったと思う。
自分のできることと向き合い、より成長していきたいと感じた5週間だった。
関わってくれた全ての人に感謝の思いを伝えたい。
「私たちには、大きいことはできません。小さなことを大きな愛を持って行うだけです(マザーテレサ)」
この言葉が5週間の私の全てを表しているような、そんな気がした。
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