フィリピンの最低保証賃金は1,000円
フィリピンの労働法では1日の収入は最低400ペソ(約1,000円)と定められています。
これは職業を問わずの収入です。
但し実際にはこの収入を得ている人は定期雇用者など一部に限られ、貧困層はその半分にも満たない収入で仕事をしています。
家事手伝い、力仕事、行商や物売りなど性別や年齢によって職業は異なりますが、1か月間働いても1万円ほどの収入も珍しくない。
フィリピンの貧困層はどんな職業に就きいくらの収入があるか。
女性と子どもが稼ぎ頭
国際ボランティア団体 グローリアセブが奨学金で支援している貧しい家庭の例を紹介します。
家族はお父さんとお母さん、子どもは5人。
貧困家庭の典型的な構成です。
父親は無職、母親は家事と子育てに時間を取られ仕事ができません。
7人家族のうち収入があるのは12歳の女の子だけ。
彼女は毎日観光地でキーホルダーを売りその売上金を母親に渡しています。
一日の収入は150~250ペソ。
日本円で400円~600円。
彼女は明るい性格で幼い時から物売りをしてきたので兄弟の中では一番商売上手。
今では他の兄弟は物売りをやめてしまい彼女一人が毎日路上で物売りをして家計を助けています。
でも、彼女は小学校に席を置いてますが出席日数が足りず2回の留年経験が。
スラムの母親の過酷な生活と収入
両親と子ども7人でドブ川のスラムに暮らす貧困家庭の職業と収入の例を紹介します。
父親は家具の行商。
完全歩合制で売れたら500ペソの収入を得ますが、売れるのは週に1日あるかないか。
母親はセブ市内のコンドミニアムで外国人の家政婦として住み込みで働いています。
仕事は洗濯や掃除、配膳、買い物などの家事が中心で朝の8時から夜8時まで。
1日の収入は250ペソ(約600円)ですが食事代や交通費も含まれるので手取りは200ペソ以下。
月の収入は1万円。
子どもたちはまだ学校に通う年齢で、食費や学費を母親の収入だけで賄わなければなりません。
仕事と子育ても両立しなければならない母親の生活は過酷。
毎朝5時にコンドミニアムから1時間ほど離れたスラムの家に帰り我が子のお弁当を作り、また8時にはコンドミニアムへ戻る生活。
お休みは日曜日のみ。
こんな生活を続けていれば母親の健康が心配になりますが、父親の収入がほとんど見込めず子どものために過酷な毎日を送っています。
なぜ母親は頑張れるのか。
そしてスラムからの引っ越し。
日銭を稼ぐ仕事
貧しい家の大人の職業は父親ならば日雇いの力仕事。
港や市場で物資を運ぶ仕事に従事しますが、誰かに雇われているのではなく勝手に荷物を運びチップを稼ぐ。
チップは20ペソ(約50円)程度ですが、正式な仕事ではないのでチップをもらえなくても文句は言えません。
一日の収入は良くて100ペソ。
フィリピンでは男性よりも女性の方が良く働き収入を得ます。
女性、特にママの仕事は洗濯や掃除の請負、野菜などの行商、畑仕事、そして食べ物の販売です。
自分の家で鶏のから揚げや春巻き、焼きそばを調理して自宅前や露店で売り収入を稼ぎます。
どれもひとつ5ペソ、収入は1日250~300ペソですがこの収入は原価も含まれています。
子どもにもできる職業はゴミ拾い、車の清掃、そしてタクシーの呼び込み。
どれも父親同様勝手にやってチップを稼ぐ仕事です。
平日の朝、まだゴミ回収車が来る前に各家庭を廻りゴミ箱からペットボトルや金属など売れるゴミを拾い集め、それをジャンクショップに売りわずかな収入を得ます。
車の清掃は主にジプニー。
フィリピン人の足ともいえる路線バス、ジプニーの清掃です。
運転者がお昼休みを取っている間に勝手に車両を清掃しチップを得ます。
タクシーの呼び込みも子どもにできる職業です。
ショッピングモールの入り口に待機し、客が出てくるとタクシーと声をかけタクシーを呼び寄せ客を誘導します。
チップは5ペソ。
これらの仕事は任意なのでチップをもらえるかどうかは相手次第。
でも、なにもしないよりはまし。
貧しい家の子どもは頼まれてもいない仕事をして収入を得ます。
職業が限られる貧困層
貧困家庭に生まれ育った子は社会を知りません。
視野が狭くお金を稼ぐ手段は父親や母親の職業をまねるだけ。
その両親も同じようにおばあちゃんやおじいさんの仕事をを継いで育ってきました。
その姿を日本人が見れば、もっと効率的に収入を得る方法をたくさん思い浮かべると思いますが、彼らはそうやって育ってきたのでそれ以外の職業や収入を得る術は知らない。
日雇いやチップ稼ぎは職業とは言えないかもしれませんが、今日の食べ物代を稼がなければ生きていけない貧困層にとっては大切な職業です。
この収入でご飯を食べています。
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