グローリアセブ インターンスタッフ体験

智恵子 社会人

私は約4年前、フィリピンに3週間語学留学に訪れた。
そこで実際にストリートチルドレンやスラムを目にし、貧しい人たちを救いたいと思い、帰国後はフィリピンにおける貧困について調べ、大学では授業で取り上げ周囲にフィリピンの状況を伝えてきた。

そして今回、グローリアセブのインターン生として約6週間、ボランティア活動にをする機会を得られた。

初めて訪れるスラム街。
そしてスラムに暮らしている人々。
本やインターネットからスラムはどのような場所でどのような暮らしかは情報を得ていたが、驚いたのはそこに暮らしている人々、特に子どもであった。
子どもたちは素直で人懐っこく、みんなが笑顔だった。
また、大きい子どもが幼い子の面倒を見ている姿を多く目にし、みんな助け合って生きているのだと感じた。

アクティビティ

毎週訪れる場所で行ったアクティビティ。
元々街中のスラムに住んでいた人が移住してきた山村には4~6歳ぐらいの比較的に幼い子が多く、簡単なダンスや折り紙を行った。
街中のロレガと呼ばれるスラム地区では牧師さんと小学校低学年ぐらいの子どもたちとダンスやハンカチ落としのようなゲームに参加した。

青空教室では中学生ぐらいの年齢の子がほとんどで、他の地域と比べ英語でのコミュニケーションが取れた。
ここでは人間知恵の輪、ジェスチャーゲーム、英文の並び替えを行った。
英文の並び替えでは中学3年程度の問題を出したが現地の大人でもなかなか解けない英文があり、フィリピンと日本では習う文法が異なるかもしれないと思った。

青空教室に参加しているグローリアセブの奨学生の実家がある村では、各自自由に子どもたちと遊んだ。主に鬼ごっこなどしたが、ここではどの子もボランティア参加者から携帯を借り自分たちの写真をたくさん撮ったり、ボランティア参加者も一緒にに写ったりして、あっと言う間に子どもたちとの交流が終了することが多かった。

ジャンクショップと呼ばれる廃品回収を仕事としている人たちの地域では主に折り紙と簡単なダンスを行った。
ここには山村にいる子どもたちと同年代くらいの子どもが多い上、場所も狭いためアクティビティを行うには一番難しい場所であった。

街から一時間程度離れた場所にあるゴミ山、ダンプサイトではアクティビティができる範囲が広いため、折り紙だけでなく風船を使ったリレーやだるまさんが転んだなど行った。
特にだるまさんが転んだは子どもたちからの評判が良く、二週連続で行うこともあった。

小学校では食事配給後、各自自由に子どもたちと交流した。
私の場合は毎週違う学年の子と遊ぶのぶはなく、毎回三年生の教室へ行き生徒たちと折り紙をしたり、手遊び、けん玉、お手玉で交流を深めた。

小学校訪問最終日には生徒たちが私のために手紙を書いてくれて感激した。
子どもたちと交流し素直でいること、そして常に笑顔でいる大切さを学んだ。

生活環境

スラムは川や海とな゛水の近くに形成されることが多いが、その理由はものを捨てられるから。
また、荷物運びなどの仕事がある可能性があるからである。
しかしそこに住む人たちに生活の保障はなく、いつか行政に強制退去を強いられてしまう。
そうなった場合、彼らは山保移動しそこで生活をするのだが、山には仕事がなく結局水のある川や海に戻って来てしまう。
海の近くのスラムや廃品回収を仕事としてる集落、ゴミ山の菅評は非常に悪く、日本では考えられないほどのハエ。
そして退寮に捨てられたごみから出る悪臭。
鼻をタオルで覆わないと行きもしづらい環境なのに、彼らにとってはそれが普通であり、慣れは恐ろしいと感じた。

ジャンクショップやゴミ山など、ごみがたくさんあり不衛生な環境の中、裸足の子どもがいて怪我をし、感染症にならないか不安になった。

海の近くのスラムでは、海の上に木でできた家が建っており、いつか木が腐り胃炎゛倒壊する危険性があると感じた。
海に行けば生活用水は排便、ゴミなどと混じった海水で泳ぐ子どもたちを見て、海を汚いと感じていないんただと思った。
その他の集落は私の想像よりもキレイで安心した。
もちろん日本と比較すると日本の方が断然キレイだが必要最低限なものは揃っていて、生活に困っている様子は見られなかった。

女性社会

フィリピンは宗教の関係で避妊や中絶ができなく、一家族につき少なくとも3~4人、多くて7~8人の子どもがいる。
貧困地域の家庭では収入がわずかなため家族にご飯を食べさせることで精いっぱい。
そんな家族のために子どもたちは物乞いなどで少しでもお金を稼いでくる。

父親は昼からお酒を飲み、だらだらと自立しておらず仕事もまともにしていない。
すべての父親がこのような状態ではないが女性社会のフィリピンではこれは当たり前のことで、夫が仕事もせずだらけていても文句は言わない。
きっとこれは貧困から抜け出せないひとつの理由かもしれない。

幸せは家族

なん箇所かの集落やスラムを訪れたが、どの場所の人たちも大切なのは家族。
家族といれば幸せでと言っており、貧困でも彼らは幸せに暮らしているように思えた。

安くておいしいフィリピンのファストフード、ジョリビー。
私はインターンシップ期間中、頻繁に利用していたが貧しい人たちにとっては高級品で、誕生日に食べられるかどうか。
一方、小学校の先生からするとジョリビーは安いと感じるようで、実際に貧富の差を感じることもできた。

フィリピン人の楽しみと日本人の幸せ
フィリピン人の楽しみは3つある。
家族と一緒の時間
食べ物がある
歌うこと

貧困地域に住む人が暗い顔せずいつも笑顔でいたのは、この3つが揃っていたからかもしれない。

それでは日本人の私たちの幸せは何か。
家族といる、家がある、学校に行ける、そしてご飯を食べられる。
実は幸せは私たちのすぐそこにある。
当たり前を当たり前と思わない。
毎日小さな幸せに感謝すれば、より豊かな生活を送れると思う。

帰国後は日本で貧しい人たちのために何ができるか考えたが、私が今できることは自分が実際にスラムに行き、子どもたちと触れ合い、見たこと、感じたこと、そして6週間のインターンシップ経験を周囲に伝えることである。

日本人が抱いているセブ島に対してのイメージと現実は違う。
フィリピンの国民の22%が貧困層である事実を伝えたい。

そしてどこか海外へ行く際、その国の良いところばかりに焦点を当てるのではなく、裏側、本当の姿を知るとその国のことが良くわかるだろう。

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