ゴミ山の閉鎖と奨学生の変化で思うグローリアセブの役割

グローリアセブ インターンスタッフ体験

すみれ 筑波大学
 
1年振りのセブ。
2回目のセブでのインターンシップ。
 

今回は何を感じるのだろう。
久し振りに再会する子どもたちは元気にしているか。
2週間という短い時間の中で自分は何ができるのか。
 

昨年と同じように、大きな期待と少しの不安をもって戻ってきた。
 
 
 

1年は長いようで短いと思う。
入学や卒業の節目でなければ、学生なら恋人ができた、あるいは別れた
習い事を始めた
引越しをした
程度が起こりうる変化の大半であろう。
 
 
 

今回、特に印象に残った出来事は主に3つあった。
ダンプサイトと呼ばれるゴミ山の変化、
奨学生のリタイア、
家庭訪問での会話である。
 
 
 

まず一つめには、ダンプサイトの変化を挙げる。
昨年、残り1,2週間で帰国する、という時に知ったのは、急遽決定した支援先のダンプサイトの閉鎖であった。
 

住民は強制退去を求められていた。
しかし、政府の移住指定先はお金がかかり、誰でも簡単に住めるような場所ではない。
 

少し手前にあるガラス山に移住する人が大半と聞いたが果たしてどうなのか。
よく話していたあの子は?
幼い妹を連れてきていたあの子は?
みんなどこに行き、どのような生活の変化が起きたのか。
 

現状よりも悪くならないことを願うばかりだった。
 
 
 

続いて、当時のダンプサイトで私が一番仲良くしていた女の子についても言及したい。
彼女は、私が何度も訪れながらゆっくりと時間をかけて仲良くなった14歳の少女である。
 

簡単な英語で会話をしながら、冗談を言い合ったり、時には食事配給を手伝ってくれたりしていた彼女は、最後のアクティビティの日に顔を見せなかった。
どうしたのだろう、と気になっていた。
 
 

帰り道、バンの中から足に包帯を巻き、顔をしかめながら辛そうに歩く彼女を見た。
一瞬の出来事だった。
どの程度の怪我なのか、きちんとした手当てはされているのか、全く分からない上に連絡手段もなく、何もできない自分にモヤモヤしながら帰国したのを覚えている。
 
 
 

ガラス山のアクティビティに参加するのは初めてだったが、もしかしたらあの子にも会えるかもしれない。
そう思いワクワクしながら訪れた。
しかし、1週目には会うことができなかった。
 

もっと遠くに引っ越したのだろう、と諦めかけた2週目に、私の名前を呼びながら駆け寄ってきた彼女に再会することができた。
元気な姿への安堵や、名前を覚えていてくれたことへの喜び、様々な正の感情が湧き上がってきた。
 
 

昨年感じたことであるが、ここには私の思う「安定」の暮らしはない。
それは、毎月の安定した収入や契約している限りずっと自分のものである家、信頼できるライフラインや万が一の際の社会保障制度などのセーフティネットである。
 

そのため、更に1年後にはまた会えるか分からない。
危険が伴うガラス山や衛生環境が整っていないスラムでは万が一のこともあるかもしれない。
だからこそ、再会できた喜びが大きかったのだろう。
 
 
 

今でこそ、普及したSNSで連絡を取り合うことができ、それが安心に直結している。個人間でメッセージを送らなくても、相手の投稿を見たり、自分の投稿に「いいね」を押してもらったりするだけで誰かと繋がっている安心を得て、相手が元気でやっていることを確認する手段となる。
 

反対にSNSで繋がっていない人や連絡手段のない人はどうにかして連絡を取ろうと努力する必要があるし、知ろうとしなければ何も分からないままである。
 

そういった意味では、私にとって彼女との関係性は不安定なものだといえるだろう。
そしてその不安定さこそが私がまたセブに戻ってきたいと考える理由の一つだと思う。
 
 
 

フィリピンは、2020年までにスラムを無くしてしまおうという動きがある。
昨年から新たに支援を始めたタリサイのダンプサイトも、数年後、もしかしたら数ヶ月後には同じように閉鎖されてしまうのかもしれない。
 

理想は権威や地位のある人が政府に異を唱えて、無理な移住だけでない解決法をさがし実行していくことである。
 
 

国民全員が安定や選択肢のある生活を得るためには(もちろんそれを全員が望んでいればの話ではあるが)、国全体が同じ方向に向かって進んでいく必要がある。
 
 
 

では、私には何ができるのか。
定期的に訪れることも支援の一つになるかもしれない、と今回感じた。
 

いくつかの場所で子どもたちに向けてアクティビティを行なったが、私たちの顔を見るだけで無邪気に駆け寄ってきてくれたり、チーム戦でのアクティビティに熱中して取り組んでくれたりした姿が忘れられない。
 
 

毎日を生きる中では、食べ物がなく困ったり、学校に行けずに悲しんだりする日もあるだろう。
その中で、週に一度のアクティビティが子どもにとって楽しみの一つであれば良い。
 

一時間弱の短い時間の中で、子どもたちに無償の愛を注ぐことができればそれで良いと思う。
 
 
 

人間、やりたいこととやれることが必ずしも一致するとは限らないものだ。
自分ができることを精一杯やれば何かしらの結果は付いてくると思う。
 

もしくは、見返りを期待してやらないことである。
 
 

自分が「やりたい」ことをやっているのだから。
どんなに顔が汚れていても、どんなに服がボロボロでも、可愛いものは可愛い。私はそんな彼らと遊ぶのが大好きである。
 

だから、私はきっとこれからも子どもたちに会いに来るのだろう。
今度来る時には、今回彼らが喜んでいた靴や洋服をたくさん持ってこようと思う。
 
 
 

二つめは奨学生のリタイアである。
 

昨年、毎週のように会っていたサントニーニョの子どもたちは私の中で特に大きな存在であった。
お互いの顔や名前を覚え、少人数でのアクティビティを行う、といった意味では一番密度の濃い時間を共に過ごした子どもたちである。
 
 

顔を見ると、名前は忘れていても私の存在は覚えていてくれ、すぐに昨年と同じように遠慮をしない(キーホルダーを強気に売りつける)仲に戻った。
 

嬉しいと思う反面、姿が見えない子が気になった。
話を聴いてみると、その子は学校の出席日数や成績などがグローリアセブの条件に当てはまらなくなり、いつの間にかリタイアしてしまったとのことだった。
 
 

フィリピンでは就学率が高い割に卒業率が低いことは知っていたが、自分の知っている人がそれに当てはまってしまう、というのは中々に衝撃であった。
 
 
 

ストリートチルドレンに向けた活動を行う人の中には、支援をしている子どもの相次ぐドラッグや自主退学によって、自信をなくし、活動を辞めてしまう人も多いという内容の文献を読んだことがある。
 

確かに、こちらがどれだけ働きかけても当事者の環境や意思の変化に柔軟に対応するのは極めて困難であろう。
斉藤さんがおっしゃっていた、「一喜一憂しても仕方ない」という言葉が胸に刺さった。
 
 

ただ、昨年たった2ヶ月間だけ関わった身としては、サントニーニョの子どもたちには確実に会えると思い込んでいただけに悲しい出来事であった。
 

もちろん、他の奨学生がこの先も順調に進級し、高校を卒業できるという保証はない。
しかし、物売り以外で生計を立てたい、
選択肢を増やしたい、
と彼らが思い続けるのであれば、それは学校に通う理由となるし、未来の彼らの子どもにもきっと良い影響を及ぼすだろう。
 
 
 

そのためにも、私個人としてはグローリアセブの存在が彼らの中で大きなものであって欲しいと思う。
英語ができれば、どんな将来を歩んだとしてもきっと役に立たないことはないだろう。
社会常識が身に付いていれば、生きていく上で誤った判断をして、取り返しのつかないような大きな失敗をするリスクは下がるだろう。
 

青空教室では、それらを学んで欲しいし、私たち日本人と会う時には素敵なアクティビティを準備して、彼らを楽しませたい。
また今度会う時には、お互い元気な姿が見せられれば良いなと切に思う。
 
 
 

三つめに印象に残った出来事は、家庭訪問での母親との会話である。
 

今回彼女に聞きたいことがたくさんあった。
彼女の家は、子ども7人を養う大家族である。
夫は定職に就いていないので、基本的には彼女一人がハウスキーパーとして働くことで生計を立てている。
 

また、彼女自身は最終学歴が小学校卒であるが、自身の子どもには高校卒業、叶うなら大学まで卒業させたいと考えている。
 
 

生活が苦しい中で、長期的視点を持ち続けるのはフィリピンの現状に表れているようにとても難しいだろう。
 

では、なぜ彼女はこんなにも頑張れるのか。何が彼女を動かしているのだろうか。今回、その答えの一部を知れたような気がする。
 
 
 

背景には夫との関係性があった。
前述したように彼は定職に就いていない。
家具売りをしているが、単価が高いため毎日売れる保証はないし、売れたとしてもそのお金をどれくらい家に入れるかは彼次第である。
 

また、酒を飲み、家族に暴力をふるうことがあり、昨年も彼女は夫との関係が良好ではないと話していた。
 
 

最近では暴力をふるわれた子どもが自殺未遂をしたため、彼女は家にいる時間を増やしたそうだ。
 
 

涙を流しながら子どもたちの存在がなければ自分はもう人生をドロップアウトしていた、と語った彼女の姿を忘れることができない。
 

そんな母親の姿を見ているからこそ、娘は自分の思い描く未来を話す時には一番に「学校を卒業すること」を挙げるのだろう。
そして、どんな時に幸せを感じるか聞かれた時には「家族といること」を挙げるのだと思った。
 
 
 

家庭訪問の中には、話しながら時折涙を流し、時には訴えるような口調で語る彼女の姿があった。
 

仕事先は雇い主だけ、
家に戻っても相談できる人はいない。
日々のストレスを誰かに気軽に話すことができない、
 

というのもまたストレスになる。
 
 

話を聴くだけでもサポートの一つになると、身をもって知った。
 

誰かがグローリアセブのサポートで良かった点を聞いた時に、彼女は、私たち日本人に会うこと、と答えてくれた。
 

仮にお世辞だったとしても、とても嬉しかった。
 

長い間、時間をかけてゆっくりと築いてきたグローリアセブと彼女たちの関係が垣間見えた瞬間だったと思う。
 
 
 

この2週間の中で、フリーの日を使ってオプショナルツアーに行ってきた。
オスロブでジンベイザメを見て、スミロン島やツマログの滝で綺麗な景色と魚に癒された旅だった。
 

そのツアーのガイドやドライバーは元語学学校の教師や新聞の編集者で、いわゆる貧困層ではないフィリピン人だった。
 

彼らは仕事柄、日本人と会う頻度が多いせいか、日本についてたくさん聞いてきた。
 

今は災害が多いけど大丈夫なのか、
フィリピンとは逆に高齢者がどんどん増えていくそうだがどのような対策を考えているのか、
日本製の車をフィリピンで見るのはどんな気持ちか…などだ。
 

なるほど、確かに日本にも深刻な課題はたくさんある。
対象やレベルは違えどどこの国にも課題はあるものだと改めて感じた。
 
 
 

私は最近就職活動を終えた。
当初思い描いていた未来とは全く違うスタートになりそうだが、どんなことが待っているかワクワクする。
仕事柄、アジアを訪れる機会が多くあるかもしれない。
 
 

その中にフィリピンがあれば是非ともそのチャンスを掴みたいし、もちろんまたグローリアセブのボランティアスタッフにも参加したい。
 
 

名前も顔も知っているあの子のために何かがしたいから。