野々花 日本大学3年

「もし、大金が手に入ったら何をしたいですか?」貧困地区の家庭訪問の際に、失礼にあたるかそうでないかのギリギリのラインを責めた質問をしました。

その家庭のお母さんはすぐに「人助け」こう答えてくださいました。

私たちが訪れた家庭は、貧困地域の位置しており、そこを家と呼んでいいのかすら分からないような造りをしています。

個人個人の部屋はもちろんのこと、トイレやお風呂もありません。

1日フルタイムで働いても収入はわずか1000円ほどで、子どもを学校に通わすことも難しい状況にある家庭です。

フィリピンは高校までが義務教育であり、そこに関しての学費はかかりません。

しかし、文房具やお昼ご飯にかかる費用すら払うことができず、学校を辞めてしまう子どものいる家庭が多く存在します。

家庭訪問では、スカラーシップと呼ばれる給付型の奨学金を貰うことで学校に通っている高校生の娘さんがいる家庭を訪問しました。

自分の娘が奨学金を貰わないと学校に通えず、毎日3食食べることもままならないはずなのに、大金を手にしたら人助けがしたいというその回答が今も深く胸に刺さって、なかなか抜くことができません。

このように、彼ら彼女らの優しさに毎日触れながら過ごしていく中で感じたことがたくさんありました。

大学の講義でフィリピンの貧困問題が深刻な状況であることは学んでいましたが、実際に現地を訪れてその悲惨さを肌で感じました。

整備されてない道で、野良犬が道端に落ちているゴミを漁っている光景も、屋台でご飯を食べていると、そのご飯が欲しいと見知らぬ子どもにせがまれたことも、切ったタオルを体に巻き付けて洋服にしている子どもがいたこと、洋服すら着ていなかった子どもなど、早急な改善を必要としている人が多くいることを強く感じました。

しかし、その一方で貧困地域からそう遠くない場所には高層マンションや娯楽施設が整ったデパートが立ち並んでいます。

これらは、フィリピンが発展している証であり、これから先もそういったマンションやビルが立ち並ぶのだと思います。

国が力をつけて、発展していくことは良いことですが、そこの波に乗れなかった人々はこれから先、どうなっていくのでしょうか。

豊かな層だけがより豊かになるシステムは、豊かさと貧しさの狭間にいる人々を振り落とす行為であり、貧しい人にとっては、もう2度と這い上がることのできないところに落ちてしまう残酷な仕組みなのだと考えます。

また、貧しい家庭に生まれた子どもは、学校に通うことよりも親の仕事を優先しなくてはいけません。

毎日を過ごすことがやっとな状況の中で、学校に行くという選択が選ばれることはありません。

そして何より、フィリピンの最も改善すべき点のひとつとして雇用問題が挙げられます。

フィリピンでは、大学を卒業しても働ける場が契約社員のファストフード店であるという現実があります。

大学に進学しても安定した職が無い中で、家計より学校を選択する貧しい家庭はほとんどいないと思います。

学業を優先したところで、職が無いのならば、学校に行かずに家族とともに働くことが彼らにとっては、生きるための最も最善な手段であるのだと感じますし、その連鎖を止めるには、国が雇用の機会を増やすべきです。

しかし、国自体にそのようなお金も、改善策の具体的な案もありません。

このような発展途上国の現状に、日本を含む先進国は今よりももっと耳を傾けるべきです。

貧困層の方々と多くの時間を過ごしましたが、彼らが口を揃えて話してくれたことがありました。

それは人生で最も幸せな瞬間は、家族といることであり、何よりも家族が大切だということです。

生活が苦しくても、家族が隣にいるだけで十分なのだと教えてくれました。

ある高校生の女の子に、家族とお金のどちらが大切なのかと聞かれた日がありました。

私は、少し考えた後にお金と答えました。

すると彼女は驚いた顔をして私を見つめ、お金があっても家族がいなかったら人生は楽しくないのだと、どうにか私に家族の絆の素晴らしさを伝えようとしてくれました。

もちろん私も家族の大切さを理解しています。

しかし、家族の幸せになってもらいたいのなら最低限のお金は必要です。

お金があってこそ、守るべきものを守れるのだと考えています。

しかし、この私の考え方は、貧しい環境で過ごしたことがないからこその意見なのだと思います。

日本というある程度のお金を必要とする生活を送ってきたからこそ生まれる考えであり、貧しい生活しか知らない彼女にとって、私の考えに共感することは不可能なのだと感じました。

それと同じように、私もまた彼女の感覚を受け入れることはできますが、共感はできませんでした。

しかし、お互いの考えに共感する必要はありませんし、ただただ私たちは違う感覚を持っているのだなというような違いを違いのまま受け入れる異文化理解も経験できました。

それ以外に印象的だったことがもう一つあります。

それは、貧しい生活をしているからといって彼らは決して可哀想な人たちではないということです。

私の手を引き、一緒に遊ぼうと無邪気に笑う子どもたちを見て、自分の年齢の時よりも遥かに活発で、気遣いができ、思いやりのある子たちでした。

立っている日本人ボランティアを見ると、イスを持ってきてくれたり、自分たちは汚れている服を着ていたりするのにも関わらず、活動中に私たちの服が汚れるとすぐに拭いて綺麗にしてくれました。

また、子どもたちには明確な将来の夢がありました。

学校の先生になりたい。警察官になりたい。キャビンアテンダントになりたい。

など目をキラキラさせながら夢を語る彼らを見て、幼いながらにもこのようにハッキリと他人に夢を伝えることができる努力にも感銘を受けました。

他にも、食事配給の際にも、まずは小さい子からご飯を食べさせるようにと自分を後回しにする姿を何度も目にしました。

また、その小さな子たちも、配給された当初は夢中でパンを食べていましたが、私が横に立っていることに気が付くとそのパンをちぎって私に渡してくれました。

このように、いかなる時であっても周りへの思いやりを忘れずにいる子どもたちが、もう少し大人になった時に自分の置かれている環境の過酷さに気付き、語ってくれた先生や警察官になるなどの夢や、希望を失ってしまう瞬間があるのかと思うと、胸が張り裂けそうになりました。

私は4月から大学4年生になります。

日本に戻ったら、ここでの経験を周囲の人に余すことなく伝えようと強く決めています。

そして、私がここで感じたことを、他の人にも経験してもらいたいです。

微力ではありますが、そう遠くない同じアジアの国で、助けを必要としている人たちが大勢いるという事実を伝え、声を上げ続けようと思っています。

私がフィリピンの国の制度を変えることはできません。

そして、これから先の未来でフィリピンが先進国の力を借りて、あるいは自力で現状から脱出できたとしても、それは何十年、何百年先の話だと思います。

私は今まで、大学を卒業したら海外の人に日本語を教える日本語教師を夢にしていました。

この経験を通して、今もその夢は変わっていませんが、より強くこの職業に就きたいと思うようになりました。

現在、日本は少子高齢化が急速に進み、平均年齢は48歳にまで上がりました。

働く人が足りない日本と、働く場所が足りないフィリピン。

この組み合わせは、互いの需要と供給が合う関係なのではないかと考えました。

日本では海外の人が日本で働く決まりや環境を増やしている現状にあります。

家族を養いたいけどフィリピンでは働く場所が無い彼らに、日本での雇用の機会を与えたいです。

セブで過ごした時間は、21年間生きてきた人生の中で最も忘れられない時間になりました。

物質的に豊かであっても心は満たされていない人、貧しい暮らしの中で幸せを見つけて人生を送り人。何を幸せかと思うかは人それぞれであること、幸せの基準は自分自身で決めること。

人間が生きていく上で当たり前のことをいつからか忘れていましたが、もう1度改めて再確認できました。

最後にこのインターンを通じて関わってくださったグローリアセブ代表斎藤さん、スタッフの皆さんを始めとする全ての人に感謝致します。

そして、現地の子どもたちが語ってくれた将来の夢が叶うことを心から祈っています。

2023年2月~3月