めぐみ 南山大学2年

とても濃い7週間のインターンシップだった。
ビルが立ち並んでいる都市でも、ちょっと路地裏に入れば雰囲気ががらりと変わり、そこには墓地スラムが広がっていた。

ボロボロの家に、よれよれな服を着た人たち、整備されていないでこぼこの地面、皮膚病にかかっていたり背骨やあばら骨が分かるくらいやせ細った犬。

初めて見たときは、そこで人が暮らしていることが信じられなかった。


ガラスの瓶を集めて生計を立てている貧困地区は場所によっては道という道がなく、濁った大きい水たまりが晴れの日でも常にあり、そこに住む大人子供は平気で泥水に足を入れたりしていた。


一番衝撃的だった場所はゴミ山である。

車で長い時間かけて整備しきれていないでこぼこの道を上った先には、一面にあふれかえったゴミがあった。

ここに人がいるのか、とそんな感情だった。

ゴミ山に到着し、車を降りるとたくさんの子供たちが笑顔いっぱいでお出迎えしてくれた。

一瞬ここがゴミ山であることを忘れてしまうぐらい。

しかし、子供たちにゴミ山を案内してもらうと、鼻をつまみたくなるような臭いや、ゴミだらけで不安定な足場に、そこがゴミ山であることを改めて実感した。


マスメディアがよく取り上げる貧困の写真は、日々ぎりぎりで生きていて笑顔のない人々であったり、鋭い目つきでこちらをにらんでいた。

そのすべてを信じ切っていたわけではないが、少なからず先入観では、活気のないどちらかというと薄暗いオーラの印象を持っていた。

しかし、実際に現地に行って見るとそこは少し違った。

確かに、彼らの住んでいる場所は劣悪な環境であるのは変わりなかったが、ハロー、とあいさつすると笑顔いっぱいでハロー、と返してくれた。

子供たちもくたびれたTシャツや壊れかけのサンダルを履いていたが、だからと言って悲しい表情をしていたわけじゃなかった。

彼らの表情はとても明るく素敵だった。

とても人懐っこく、出会って数十秒後にはピタッとくっついて手をつないでいたり、抱っこしていたりした。


このインターン期間中、幸せについて考えることが多かった。

私たちは、お金がないからと言って貧困の人々が不幸であると決めつけがちだが、それは違うと感じた。

貧困地区の人に家庭訪問をした時に、「どんな時が一番幸せ?」と聞いたら、家族と一緒にいる時、ご飯を食べている時、友達とおしゃべりをしている時、という返しが多かった。彼らは日々の生活の中で幸せを見つけていた。

とりわけ特別なことではないが特別な時間。幸せな時間。彼らは日々の生活の中から幸せを見つけるのが上手だと思った。


自分を振り返った時、そのような日々の繊細な幸せに目を向けられていないことに気がついた。

私にとって、それは当たり前のこと。

気付かぬうちに幸せを感じるハードルが上がってしまって、小さな幸せを逃していた。

私たちが持っている「幸せ」のものさしと、彼らが持っている「幸せ」のものさしは違う。

だから、私たちが持っている「幸せ」のものさしで一方的に彼らを不幸だと決めつけるのは違うと感じた。日々幸せを感じながら生きている彼らの方がもしかすると私たちより幸せなのかもしれない。


そしてもう一つ実感したのが子供たちのやさしさである。

私がバランスを崩して、地面に膝をついた時、真っ先に払ってくれた。

自分についた汚れや、転げたりしても何も気にしない様子なのに、私たちが汚れるとはたいてくれたり、中には自分の服で汚れを拭き取ってくれたりした時もあった。

自分がこの子達の歳のとき、こんなに優しい行動を取れていただろうか?と考えた時、私は絶対にできていなかった、と振り返って思った。

では、この子達はどうしてその様な優しい心を持っているのだろうか?

周りの人から受けた優しさからか、親から受けた優しさからか。生活が厳しいのは事実だが、助け合いや優しさに触れて生きてきたのかな、と感じた。

だから、自分も優しい心を他人に持つことができるのかなと。

よく小学生高学年ぐらいの子がちっちゃい子をおんぶしていたり、幼稚園児ぐらいの子にご飯を食べさせてあげている場面をよく見た。

聞くと兄弟であったり、なかには兄弟じゃないがお世話している子もいた。

お金を持っていることはとても大切なことだが、それ以上に人生を幸せに過ごす上で重要なものを彼らは持っていると感じた。


しかし、貧困であるのは事実であって、困っていることもたくさんある。

激しい雨が降ると、すぐ洪水になり、家の中にまで水が入ってきたり、それだけではなく水と一緒に流されてきたゴミも家の中に入ってきたりするという。

そんな場合は、ただひたすら水が引くのを待つしかない。

また、どこかで火事が起きた時、消防車を呼んでも道が狭すぎて通ることが出来ず、ほとんどすべての家が木造であるため、火はその地区全域に広がり、住民は焼き尽きるのをただ見るしか手段がないという。

また、子供たちは幼いながらに夢を一人一人持っていた。医者、ナース、先生、兵隊などが特に人気であった。

しかし、この子たちの夢のほとんどが家庭の経済的事情で夢のまま終わってしまうのが現実である。

この子たちが貧困が理由で、自分の夢を諦めなければならなくなった時、どう折り合いをつけて生きていくのだろうか。

インターン生としての苦労とやりがい
インターンとして特に苦労したことは、アクティビティの企画と実行であった。

子供たちが楽しめるモノに加えて、幼稚園児や小学校低学年の子でも簡単に理解できるモノでなければならない。

説明をするときでも、まずまとめるのに大変だったり、英語で説明しても英語がわからない子が以外にもたくさんいたりなど、想定外のことが多かった。

しかしそんな時、現地スタッフのアイヴィーやマテット、ボランティア生に助けられながら、乗り越えることが出来た。

うまくいかなかった点をもう一人のインターン生のれいかさんと毎回、次回どうしたらスムーズにいくか、気を付けるべき点はどこか、など話し合った。

もちろん大変だったが、それと同時にやりがいをすごく感じた。

自分たちで考えたアクティビティを子供たちがとても楽しそうにやるのを見て、ああ頑張って考えてよかった、と心の底から思った。

7週にわたって様々な折り紙や工作、ゲームを考えてきたが、子供たちはどのアクティビティも全力に楽しんでくれた。その笑顔を見るのがとてもうれしかった。


インターンとしてこの夏グローリアセブに来てとても良かった。

現地に実際に行って見ないとわからないことがたくさんあったし、何より現地の人に直接質問して現地の人の考えを知ることが出来た。

毎週会う子供たちはとてもかわいくて、MEGUMI!MEGUMI! と呼んで抱きついてくれたり、一緒に遊んだりして、その子たちとたくさんの思い出が出来、離れるのがとても惜しかった。

また、たくさんの素敵な仲間に出会い、たくさんの考え方を学ぶことが出来た。

一日の活動おわりのミーティングは自分以外の人の考え方、感じ方、エピソードを聞けるとても有意義な時間だった。


まだ自分の将来についてはっきりしたことは言えないが、セブでの経験は確実に私におおきな影響を与えた。

2023年8月~9月