フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

珠音 武蔵大学 3年
 
私が今回、グローリアセブのボランティアに参加した理由として、大学で様々な社会問題を学んでいたことが挙げられます。
 
大学では、量的なデータを用いて、客観的な視点から様々な社会問題を考察しています。
 
だから、例えば貧困に限って言えば、「貧困が生まれる地域にはこんな特徴がある」とか、「貧困状態はこのような要因によって生まれる」というような、データから見えることでしか、社会問題を学んでいませんでした。
 
しかも、私は貧困を社会問題の一つとして扱って見ていたため、貧困=悪いものとして認識していました。
(もちろん社会問題として、改善すべき点はあると思います)
 
だから、データで貧困の状況を学んだ上で、貧困の人を手助けできる方法はないのか、実際の貧困の状況を目で見て確かめてみたいという思いでこのプログラムに参加しました。
 
 
ボランティアの参加を決めたものの、正直なところ、「豊かで安全な先進国に生まれ育った私なんかが、ボランティアとして貧困地区の子供達に会いに行ったところで、何ができるだろう」とか、「自分が持っているものは、善意ではなく偽善なのではないか」という思いがずっとありました。
 
でも、1日目に山岳地域の子供たちに会いに行った時に、私たちが来ただけで子供達がとても喜んでくれたことに驚きました。
 
しかも、どこかで「貧困は深刻な社会問題だ。貧困の子供たちはなんて可哀想な人なんだろう。
きっと様々な不便に苦しんでいるに違いない」という思い込みがあったからか、子供達の無邪気で明るい姿にも、さらに驚かされました。
 
文化や環境は違えど、日本の子供達も山岳地域の子供たちも、根本は変わらないのだと気付き、「貧困」というフィルターを通して子供達を見ていた自分が恥ずかしく思いました。
 
ボランティアとして来たものの、子供達と話したり、遊んだりすることを、気づけば純粋に子供と触れ合うことを楽しんでいました。
 
 
最初は、「貧困で苦しむ子供達の手助けをしたい」という気持ちでボランティアに臨んでいましたが、実際に子供達に出会ってからは、ただ「目の前にいる子供達がもっと幸せに過ごせるように手助けがしたい」と感じるようになりました。
 
貧困だからとかではなく、私が出会った素敵な子供達のために、何かできないかと考える様になりました。
 
ボランティアで私ができたことといえば、子供を知ることくらいで、自分の無力さを痛感しましたが、今回、私がした体験は、とても貴重なものになったと思います。
 
日本に帰国しても、改めて子供たちのために私ができることを考えてみたいです。
 
 
2022年9月
 
 

 
 

 
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