フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
陽菜 青山学院大学2年
フィリピンのボランティアに参加した理由は友達に誘われたからで、私は特に貧困に興味を持っているわけではなく、「将来小学校の教師になったとき、様々な背景を持つ子どもへの理解が少しでもできるようになったらいいな」くらいの軽い気持ちでいました。
貧困のスラムはガリガリに痩せている子しかいなく、表情も暗いイメージしか持っていませんでした。
実際にスラム街に住んでいる子たちと接してみると、ガリガリの子は少なく、表情も明るい子が多く、イメージは逆転しました。
また、学年や年齢が上がるに連れてずる賢くなっていくのかな、と予想していましたが年上の子は年下の子のことを常に気遣っていて食事や折り紙もどんどん小さい子に配る場面にたくさん遭遇できて、自分の考えが上から目線だったと思い知らされました。
また、日本人の今の私の暮らしがいかに恵まれた環境にあるのかということを実感できました。
これまでは自分の暮らしは恵まれているのだろうな、と感じつつも特にどこが、とも考えたことはありませんでした。
ボランティアで訪問した場所は全て劣悪な環境で、しっかり雨風を防げる家やふとんも、トイレ、シャワーなどもなく、私たちが危ないから飲んではいけないと言われている水道水を飲んでいることを知って、私たちが考えている普通の家すら手に入れられない人が沢山いると知りました。
一回の訪問だから我慢できた匂いも、そこに住む人達にとっては日常で慣れたものであることが子ども達や、そこに住んでいる人々の表情から読み取れ、何とも言えない気持ちになりました。
このボランティア活動で訪問したところは全て、私の「スラム」や「貧困」という言葉のイメージを覆すものでしたが、中でも1番衝撃を受けたのはゴミ山で遊ぶ子ども達の姿です。
私たちが公園や整備された森で遊ぶのと同じような感覚でゴミ山を遊び場にしていることが子ども達の様子から分かり、理由ははっきりとは分かりませんが、胸が締め付られるような感じがしました。
おそらく、ゴミ山での生活が自分にとっては最も遠い存在で遊びたくないと感じたのだと思います。
家庭訪問をした際、お母さん達は疲れた様子で話を聞くだけだったのと対照的に、子ども達は明るく学校のことや将来の夢を話していて、決して豊かではない暮らしの中で楽しさや希望を見つけて過ごしていることも印象的でした。
お昼の反省会でも言っている人がいましたが、「幸せとは何だろう」「豊かさとは何だろう」と考えていた1週間でした。
最近は、ごはんを家族で食べる機会も減って、スマホばかりであまり会話がないことが普通になってしまっていて、好きなことをしているときが幸せを感じる時でした。
しかし、家族と会話をしながらごはんを食べられるということも、世界の中で見たら当たり前ではないと実感できたので毎日感謝しながら過ごしていきたいと思います。
また、小学校の教員として働くことになったら、給食指導や生活指導において、セブ島で見てきた経験を生かして日々の生活がどれだけ恵まれているのかということを伝え、当たり前の日々に感謝できる人に育てていきたいと思います。
最後に、子ども達と接して気になったことを述べようと思います。
スラム街に住む子ども達は食事が当たり前ではないと聞きましたが、食事配給をした時、野菜を捨てていたりかなり食べ残していたりする子が多いと感じました。
日本人の感覚だから「もったいない」と感じるのかもしれませんが、もし同じような場面に出会うことがあったら「最後まで残さず食べること」を教えたいと思いました。
日本では絶対出来ない貴重な体験をありがとうございました。
2023年2月
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