仁心 広島修道大学3年

私は今回のボランティア活動を通して、特に「日本の当たり前とフィリピンの貧困層の当たり前は違う」ということを実感した。

私は元々、「一般的」「当たり前」「普通」という言葉が好きではなく、様々な立場の人のことを理解できるつもりでいた。

しかし、貧困層の生活について知識はあっても、体験してみると大学に行けること、お菓子、文房具が買えること、トイレの水が流れることなどが日本で生活してきたことによって、自分の「当たり前」になっていたことに気づいた。

実際にフィリピンに来て体験することで、日本にいて知るだけでは分からない気持ちや感情を持つことができた。

(家族を大切にしていることを実際に聞き、親が嫌だったが親に会いたくなった。)

少し、フィリピンの貧困層について知れたような気がする。

ただ、他のボランティアの方が話していたように火事や洪水の現場は見ていないため、私達が体感できたのはほんの一部だろう。

また、貧困層に対して「かわいそう」「恵まれない」というのは自分の中の当たり前を基準として見ていることに気づいた。

私はたまたま先進国に生まれただけで、日本には日本の、フィリピンにはフィリピンの当たり前がある。

私達日本人と同じように、今の生活がその人達にとっては普通であり楽しく生活している。

日本には物質的豊かさがあるが、精神的豊かさは無いのではないだろうか。

逆にフィリピンでは、物質的豊かさはなくても、精神的豊かさはあるのではないだろうか。

日本では自殺者が多く精神的に追い詰められている。

フィリピンでは子供達はすぐに自分の夢を答えることが出来るが、迷うほどの選択肢や経験が無いからではないだろうか。

日本は精神面、貧困層には様々な機会やチャンスがないことが問題だと感じた。

そして、私は今、数カ月後にこの感情が薄れてきてしまうことを一番恐れている。

この経験を忘れたくない。

数日の間に、大切な出会いを沢山することができた。

ここで出会った人達や自分の今の感情を忘れないようにしていきたい。