風音 慶応義塾大学2年

小学校5年生の時に見た動画で海外の貧困に興味を持ち、時間とお金に余裕ができた 2023 年の春にグローリアセブのボランティアへの参加を決めた。

テレビや本ではスラムで暮らす人たちの苦しんでいる場面やかわいそうと思う姿を切り取ることが多い。

実際に私が初めて見た映像は、ゴミ山で暮らし、明日を生きていくのも困難な状況だった。

そこに笑顔はなかったし、小さな家で食べるものもない。

そんな風に映されていた。

中学生くらいからは発展途上国に訪れた人たちの本を読むようになった。

そこにはたくさんの笑顔と幸せな瞬間が綴られていた。

このボランティアに参加する前の飛行機では、テレビで見た衝撃的でショックな暮らし、本で知った貧しい中でも幸せな暮らし、どちらを実際に見られるんだろうと思っていた。

現実を知れる好奇心とそれを受け入れることが出来るか分からない恐怖心があった。

実際にスラムと言われる場所に行くと、十分な暮らしじゃなくても懸命に前向きに生きている人がたくさんいた。

そして、そこにいる人たちがその事を誇りに思っていることが素敵だと思った。

インタビューで誇りに思ってることを知ったとき、果たして日本人はどうなんだろうと思った。

私の周りの日本人は食べるものも十分にあるし、旅行にだって行く。

多い日には 1 食で1 万円使うことだってある。

それなのに、現状に満足していない人が多い。

周りの環境のせいで自分は苦しんでいると周りの人たちを非難する人だってたくさんいる。

生きていくのに十分な生活があるからこそ、”もっともっと”と求めてしまうのだろうか。

ゴミ山で過ごす中で、ハイタッチや手を繋ごうとすると「dirty」という言葉を何度か耳にした。

ショックだった。

普通の子供たちのように笑って遊んでいる子でも自分のことを「汚い」と思っている。

全然そんなことないのにと思った。

「そんなことない。全然気にしない」と言うと、悲しそうに俯いて「汚いから手を繋げない」ともう一度言う。

時間もスラムにいるということさえも忘れていたけど、その一言で現実に引き戻された。

この現実を変えたいと思った。

フィリピンへ来て、支援の形を改めて考え直す機会になった。

今の暮らしでも十分に幸せだと感じていて、私が想像していた以上に学校に通えている人もいた。

思っていた以上に食べる物や飲むものがあったし、頑丈とは言えないし狭い家だけど暮らす場所があった。

でもそれは、テレビで事実の一部を切り取って報道されているのと同じで、たったの数時間でしか見えていない彼らの暮らしの中の一部に過ぎないんだと思う。

彼らが何を求めているのか、どんなヘルプを出しているのか。

もっともっと知りたいと思ったし、知らなければいけないと思った。

この一週間で出会った人達がどうすればもっと幸せになれるのか、自分の中で答えが出せなかったのが悔しい。

この期間を経て、来年に休学すると決めた。

世界にはいろいろな暮らしがあって、そこに暮らしている人達がいる。

それをこの目で見たい。

その上で、自分にできることは何なのか考え続けたいと思う。

2023年9月

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