くるみ 慶應義塾大学4年
フィリピンのセブ島でこの夏7日間にわたり、スラム街でのボランティア活動に参加した。
活動では川の上に家々が並ぶスラム、ゴミ山の上に広がるスラム、そして墓地に人々が住むスラムなど様々な地域を訪れ、現地の子供たちや家庭と直接触れ合う機会を得た。
活動に参加する前、私は「貧困の中で暮らす子供たちは食べ物も少なく、幸せを感じられないのではないか」という漠然としたイメージを抱いていた。
しかし、その印象は現地での体験を通して大きく覆されることとなった。
実際に現地で出会った子どもたちは私たちボランティアを元気いっぱいに迎えてくれた。
笑顔で遊び、冗談を言い、屈託のない明るさに満ちていた。
その姿から「苦しい」「不幸だ」という感情は一切感じられなかった。
齋藤さんの「貧困にはレベルがあるが、幸福を感じることにはレベルがない」という言葉が特に胸に響いた。
私たちは日常に忙殺され、当たり前にご飯を食べられることや大学に通えることの幸せを実感できていない。
しかし彼らは物質的に恵まれていなくても、人との繋がりや笑顔の中に確かな幸せを見出していた。
その姿に触れることで私自身がいかに日常の「当たり前」を見過ごしていたかを痛感した。
同時に驚かされたのは、子どもたちにとって携帯電話を持つことの優先順位が非常に高いという事実だ。
私は当初、ご飯や住居などの生活基盤が整ってから初めて娯楽や情報ツールを求めるのだろうと考えていた。
しかし実際には携帯を持っている子供が多く見受けられた。
そこには「他者と繋がりたい」「流行を知りたい」という現代特有の欲求があり、SNSの普及がスラム街にまで及んでいることを知って衝撃を受けた。
貧国という状況の中にあっても人間が求める「繋がり」や「承認欲求」は変わらず存在しているのだと実感した。
さらに教育の重要性について深く考えさせられた。
川の上のスラムで家庭訪問をした際、2軒のお母さんに「ボランティアに何を支援してほしいか」と尋ねると、いずれも「子どもたちのための教育の経済的支技」と答えていた。
フィリピンでは多くの子どもたちが義務教育を終える前に学校を辞めざるを得ない状況にある。
その最大の要因が経済的問題であり、教育を受けられないまま大人になってしまう子どもが少なくない。
これは個人の未来だけでなく、国全体の発展にも大きな影響を及ぼす申深刻な問題だと感じた。
教育は未来への投資であり、それが十分に行われなければ、貧困の連鎖を断ち切ることは難しい。
また、家庭訪問中に「誕生日にどこに行きたいか」と骨ねると、多くの子どもがジョリビーと答えたことも印象に残っている。
質素な願いであってもそれを心から楽しみにしている姿に、彼らの生活に根付いた小さな幸せの形を感じた。
そして彼らが「今の生活に満足している」と語ったことも驚きだった。
物質的には不自由でも家族や地域との繋がり、助け合いの中で幸を見出している。
その姿に便利さを追い求めすぎる私たちの社会では失われつつある「人の温かさ」を改めて考えさせられた。
SNSが普及している今、彼らが自分たちの生活と他国との生活を比べた時に何を感じるのかは正直わからない。
しかし少なくとも目の前で出会った子供たちは生き生きと日々を楽しんでいた。
貧困という言葉だけでは測りえない「幸福の形」がそこにあった。
今回のボランティアを通じて、私は「貧困」と「幸福」は必ずしも比例しないことを強く学んだ。
そして教育支援の重要性、人との繋がりの価値、日常の当たり前のありがたさを深く考えさせられた。
セブ島での7日間は私にとって人生観を揺さぶられる時間となった。
この経験を忘れず、今後の学びや行動に繋げていきたいと思う。
2025.08.20
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