フィリピン ソーシャルボランティア体験談
葉月 21歳 大学生
私は日本で、”国際協力”とか”発展を支援”というような言葉を聞くと、どこか日本や西欧などの先進国の文化を押し付けてるような気がして少し否定的に感じていました。
しかしセブに来て、生活区域を流れる川が明らかに悪臭を放っていたり、ゴミをそこら中に投げ散らかしていたりする様子を見て、それがフィリピンという国の文化なんだと頭では思いつつも、その”文化”が人々の暮らしをより良くするのと逆方向に働いていると感じざるを得ず、これはやはり改善が必要なのではないかと強く感じました。
そこに暮らす人々がいるからこそ”文化”が存在するのであり、だから”文化”が衛生的な環境で暮らす権利という人権を侵すことができないのではないかと思うようになりました。
貧困地域を実際に見てショックだったのは、政府によって貧困が見えにくくされているということと、グローバリゼーションの波の大きさです。
貧困の根本を解決しないままどんなに貧困層の人たちの生活を追いやっても彼らの存在は消せないのは明らかなのに、強制撤去などによって不可視化するというやり方はひどいと感じました。
もしかすると貧困層と呼ばれる地域に住む人たちはその生活が当たり前のものになっているのかもしれないけれど、それでも”将来の夢は先生になること”と言っていたスラムに住む女の子達の夢が、貧困を理由に断たれることのないような社会になって欲しいし、していかないといけないと思います。
また、グローバリゼーションという視点では、市内のショッピングモールのテナントが殆ど日本でもよく見かける外資系企業だった点から強く矛盾を感じました。
やはり大きな経済は外資が関わっているところで動いているのだろうと思いました。
サントニーニョ教会の前にあるマクドナルドの前で、ストリートチルドレンや彼らの親たちが物を売っている様子がそのグローバリゼーションの構造を示しているような気がして印象的でした。
ゴミ山のゴミの中にスターバックスのゴミがあったのも同じ理由で記憶に残っています。
それらの世界的な企業が直接ストリートチルドレン達と搾取関係にあるわけではないけれど、そこにグローバリゼーションという世界的な富の偏りを感じずにはいられませんでした。
フィリピンという、そんなに経済的に豊かではない国だけど、そして今回のソーシャルボランティアで出会った多くの人はその中でも”貧困層”と呼ばれる人たちだけど、それでも彼らの多くはとても明るくて愉快な、月並みな言い方ですが”心の豊かな”人たちだったなあと本当に思います。
山の集落やスラムエリアで、わーっと集まってきてくれた子どもたちは歯はボロボロでも目は本当にキラキラで、このボランティアツアーでの経験は、きっとこれからも忘れられないものになるだろうと確信しています。
最後になりましたがKazuさんをはじめGloleaCebuのスタッフの方々、それから出会った子どもたちなど、たくさんの方々のお陰で本当に貴重な体験をすることができました。
本当にありがとうございました。
2015年3月13日~3月19日