フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
真椰 明治学院大学 3年
フィリピンのボランティアに参加するまでは、スラムやごみ山で生活している子どもに対して、生活環境は悪く、経済力もないため幸せではないと思っていました。
しかし、ボランティアを通して実際にスラムやごみ山で生活している子どもたちと関わって、そこには沢山の笑顔がありました。
私たちから見たら、学校に行きたくても行けない、欲しい物、食べたい物があっても買えない等、自分たちの生活と比較すると制限されていることが多いことは事実ですが、だからといって幸せではないと決めつけるのは違うと感じました。
確かに経済力があった方が豊かな暮らしを望めますが、スラムやごみ山で生活している人のような経済力がなく今日明日の生活を支えることが精一杯な家庭でも幸せはありました。
また、例え貧困であっても、スラムやごみ山で生活する人達の中には強い絆がありました。
日本では核家族化の信仰やプライバシーの保護等で近隣住民との関わりが少なく地域住民の希薄化が目立っていますが、セブの貧困地域では同じ地域に住む子どもたちが上下関係なく遊び、外から親たちが見守り、地域の中で強いつながりがありました。
スラムやごみ山で暮らしている人は辛い思いをしていて不幸に感じているのだろうと思っていましたが、同じ年代の子が沢山いて、限られた物の中で自分自身で遊びを見つけ考え、笑顔で楽しく遊んでいる姿を見て、貧困=不幸というのは先入観であって、限られた生活であっても幸せであることを強く感じました。
今、日本に住んでいる自分に対して幸せかと問いつめたら、きっともっとお金がほしい、あれがほしいこれがほしい等考え、幸せではないと答えていたと思います。
この、フィリピン ソーシャルボランティアでスラムやごみ山で生活している子どもたちと関わって、どれだけ自分が良い環境で生活していることに気付かされました。
自分が当たり前だと思っていることができない環境に置かれている人は多数いること、日本は豊かな国であるからこそもっともっと豊かになりたいと思うのであって、今日明日の生活を支えることで精一杯な人たちは、今生活できていること、家族や友達と一緒にいれることが幸せだと感じていることを理解し、幸せとは何かについて深く考えるきっかけになりました。
私たちは幸せの上にまた幸せを望んでいると思いました。
今回、様々な場所をまわり、沢山の人と触れ合いました。
セブにはスラムやごみ山で生活している人が多数いて、支援の重要性を強く感じました。
今回の活動を通して、ぬり絵の際に人数分のクレヨンや色鉛筆が足りない場面や子どもが穴の大きく空いたTシャツを着ている場面を目にしました。
私たちにできること、それは現状を知り支援することだと思います。
日本は豊かな国々であるために着れなくなったり気に入らなくなった服を捨てたり、使わなくなった物は捨てる傾向があります。
そのような時に、みんなが必要としている人たちに寄付することが当たり前になるような社会になったら、セブのスラムやごみ山で生活している子どもたちの笑顔のためにも必要ですし、大切なことだと強く感じました。
直接的な援助は難しくても間接的な援助は誰だってできます。
第一に現状を知ってもらうこと、自分自身が発信して支援の輪が広がって大きな輪になれるように、今回のボランティアで得たことを胸にとどめ、今自分にできること、発信し現状をより多くの人に理解してもらうこと等をしていきたいと思います。
2017年8月10日~16日
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