フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談
ほなつ 龍谷大学
グローリアセブのボランティアに参加して、子供達が予想よりも遥かに明るく、幸せであるという事実が私を悩ませた。
彼らの支援のあり方を考えた時、私に出来ることは、あまりにも少なかった。
彼らは幸せなのだから、支援をするべきなのかどうかを考えたぐらいだ。
また、スラムでの活動中、私はたくさんの矛盾を感じた。
例えば、貧困地区にネットカフェやスマートフォンがあること。
貧しくても幸せを感じていること。
そして、教育が不可欠だと感じるにも関わらず、その教育を活かせる場所がほとんどないこと。
人々の身の回りにあるものが何か単発的なものに見えて、現在やそれ以上の生活の持続性は感じられなかった。
スラムや貧困地区には、それぞれ違いがあるが、一つだけ共通していることがあった。
それは、子供達の目がとても輝いていることである。
しかし、大人はそうではない。
今、将来の職業について夢を持てる子供達が、いつか現実に立ち向かい、夢を諦めざるを得ないときが来ると考えると、とても胸が苦しくなった。
スラムの人々が自己実現できる環境が整うまで、後どれぐらいかかるのか。全く予測が出来ない。
私たちは、貧しい地域の写真や映像を見ると、可哀想だと感じたり、この状況を変えなければならないと思ったりしがちである。
しかし、それは使命感でも責任感でもなく、無知なのではないか。
実際、現状を見ると、スラムのイメージは変わった。
スラムの人々は可哀想ではなく、同情からの支援など求めていない。
いつも明るく健康で家族がいること。
私たち日本人にとっての当たり前が彼らの幸せである。
普遍的な幸せはないということに改めて気づかされた。
私たちの価値観の押し付けによる無責任な支援によって、彼らの幸せを壊してしまう可能性は十分にある。
だからこそ、単なる誤解や同情からの支援は、彼らのためにもならないと思った。
もともとSNSで知った貧困の現状について、ボランティアを通して感じたリアルをSNSで共有することに何か皮肉のようなものを感じるけれど、私たちボランティアができることは、幸せの価値と共有して人に寄り添うこと、そしてSNSを通して、より多くの人々に現状を伝えることだと感じた。
初めての途上国ということへの不安と、暗く危ないスラムへのイメージから、ボランティアへの参加をためらったこともあったが、このボランティアは、今まででの人生を見つめ直し、これからの人生について考え直すとても貴重な経験となった。
2020年2月
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