フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

あゆみ 立正大学
 
貧困問題について、そしてセブの子供たちやそこで暮らす人についてここまで深く考えさせられる時間をもらえるなんて思っても見なかった。
 
 
この数日間の活動は私にとって驚きと感動、そして刺激の連続だった。見るもの聞くこと、全てが初めてで、全てが衝撃だった。
 
 
明日を生きるために、今日をどう過ごそうか、明日のご飯はどうしようか、水はどうしようか、洗濯は寝る場所はどうしようか、そんなことを普段の生活で考えたことがあるだろうか。
 
考えても、私にはそんなことをした経験がない。
 
スラムの人々は明日を生きるために自分を犠牲にして働いたり、危険を顧みずにいろいろな事をしてどうにか生活しようとしている。
 
そんな姿を間近で見て、1日を生きることの大変さや重みを知った気がした。
 
 
 
同時に自分の生活を振り返った時、私はとても恥ずかしくなった。
 
もしも自分の生活をスラムの人々が見た時に、どんな気持ちになるのだろうか。
 
その答えを活動中に見つけることはできなかったが、まずは1つでも目標を決めて、それに向かって1日を大切に無駄なく使って、スラムの子どもたちに自分の生活を見られた時、恥ずかしくない生活をしようと心に決めた。
 
 
 
子供と交流をする中で、スラムの子供たちは無邪気で人懐っこいという印象を持った。
 
しかし、その笑顔の裏には足元にガラスやゴミが散らばっており、その上をサンダルで走り回っていたり、笑った際に時折見える歯には虫歯があったり、手を繋いだ後、服や手を見ると汚れていたりと、楽しいだけではない、笑顔の裏に隠された貧困の現状が浮かび上がっていくような気がした。
 
 
ボランティアに行くと、多くの子供たちが手を繋いだり、ハグやおんぶをしようとせがまれることが多々あった。
この行動に私は少し疑問を感じていた。
 
考えてみると貧困により常に働く家族に遊んでもらったりすることがなく、どこかで空虚感や寂しさを感じているのではないか。
そしてその感情を解消しようとこういった交流の場を活用しているのではないかと考えた。
 
 
その本当の答えは子供たちに聞かなければわからないし、子供たち自身も気がついていないのかもしれない。
 
貧困が子供たちの心にまで影響を及ぼしているのだとするなら、やはり一刻も早く改善しなければならない大きな問題であると再認識した。
 
 
 
スラムの母親に対するインタビューをした際、お金もなく家が狭かったり、災害が起きたらすぐには逃げられないような場所で生活しているのにもかかわらず、それでも家族みんなが健康に暮らせていれば幸せだという話を聞いた。
 
私はその言葉に心底感動した。
 
 
自分一人が生きるのでいっぱいいっぱいのとき、私は他の人の幸せを願えるのだろうか。
どんな状況であっても常に家族の幸せを願っている、その姿はとても印象的であった。
 
 
 
そんなスラムの人々の幸せをどう支援していくべきなのか考えた時に、日本で帰ってできることは常にこの数日ででた疑問の答えを考え続けること。
そして自分ができる小さな事を積み重ねていく事。
 
貧困のリアルをより多くの人に何らかの形で伝える事だと思う。
 
 
 
今の自分にできることは小さい。
でもそれをみんながすれば大きなことになる。
 
 
スラムの人々の幸せのために自分ができる事を1つ1つ確実に実行していきたい。

 
 
 
2020年3月
 
 
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