メディアではわからない気づきだったスラム街の幸せ

フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

ひより 東京外国語大学
 
グローリアセブ参加にあたっての最初の目標は、“メディアを通じてだけでは見えないことは何かに気づくこと”でした。
 
しかし、この1週間で得た、その気づきは、自分の想像を遥かに超えるものでした。
 
 
まず、スラム街と聞いて、イメージしていた治安の悪さ、罵声、差別等が全くという程ありませんでした。
 
子ども達は、スマートフォン等のボランティアの所有物を借りることはしても、奪い取ることは無いし、見ず知らずの日本人からの挨拶や質問に応じてくれました。
 
キリスト教の教えを学んでいる為か、道徳心のある人々が老若男女問わず多かった印象です。
 
 
彼らと自分の幸せの基準の違いに気づき、彼らが求めている支援、自分が出来ることに関する考えを進めることが出来ました。
 
 
 
収入源が少ない為、公的に許可されていない場所に生活をしていない為、保障されていない衣食住を支援することは基本的で、草の根的ながら本当に大切なことです。
 
国が国民のニーズに応えていない現状は大きな問題(日本を始め、多くの国に当てはまるということを改めて考えました。)と言うことを認識した上で、NGO等民間団体が各自で人々に呼びかけて動く意義や必要性を現地の活動で見たスラムの人々の反応から学びました。
 
つまり、今を懸命に生きる人々のニーズを満たす価値を見直しました。
 
 
 
幸せの基準の違いについて改めてまとめて行きたいと思います。
 
性格や宗教等土地柄の要因もあると思いますが、彼らの笑顔がギリギリの生活を客観的に表わしているとも考えられるのではないでしょうか。
 
 
私も東日本大震災で、電気・水道・飲料水の不足を経験したことを思い出しました。
 
当時は、それまでの悩みは消え(人間関係等)3日ぶりに温かい焼き鳥が食べられた時は、本当に幸せ(少し遠くに父親が買いに行ってくれて、父が戻ってきただけで嬉しかった)でした。
 
この時の気持ちと、スラムの人々の笑顔が重なりました。
 
 
マズローの要求5段階説を参考にすると、生理的、安全要求が満たされない状態だと、次の内的な欲求を持つようにならないと言う説で、彼らが貧しくても笑顔が貧しさそのものを表わしている証拠といえるのではないかと考えることが出来るとも思えます。
 
 
自分の興味より家族のことは、(夢や好きなことが分からない等)私たちから見たら寂しいことなのかも知れませんが、それは事実なのであって、そこに私情を入れると実態が余計掴みづらくなるかも知れません。
 
 
 
それでは、私は日本に帰った後、どのようにこの経験を活かしていくことが出来るでしょうか。
 
まずは、募金やボランティア活動を行う際に、それが誰のためにどのように生かされるかについてもよく考えることです。
 
 
相手の状況を知らずに、自分の価値観や先入観で判断すると、本当の支援から遠のいてしまいます。
 
加えて、募金や寄付等での活動を自分の生活と結びつけることです。
 
 
第一産業を支えていたり、私たちの輩出するゴミを用いて生計を立てているスラムの人々と日本人は無関係では決してありません
 
 
歴史を学ぶことを通じて、私たちは時間軸の中にいることを知るように、格差を学ぶことで世界の遠く離れた地域に住む人達とのつながりを感じることが出来ました。

 
 
 
2020年3月
 

海外ボランティアなら、日本から近くて安いフィリピン セブ島へ