フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

あさひ 小学校教諭
 
まず初めに「自分から行動しないと触れ合うことのない世界」に、第一歩を踏み出せたことは、私にとって、とても意味のあるものでした。
 
そこでの匂いや火事が起きた後の様子、台風がきたら一瞬で壊れてしまうのではないかという家、歩きづらい道…映像などを見るだけではわからない、想像以上の現状を自分の五感を使って知ることができました。
 
 
ゴミ山では、私も食べたことがあるような、スナック菓子の袋やカップラーメンの容器がたくさんありました。
 
私の捨てたものたちも、ここに来てそれを集めて生きている人がいるのだと思うと自分の生活とも直接つながって、とても他人事ではないなと思いました。
 
 
 
1週間を通して一番大きかったのは自分が元々持っていた“貧困”や“スラム”に対する暗いイメージと、そこに暮らす人々の明るさとギャップです。
 
子供たちは本当に可愛くて、人懐こくて、明るくて、アクティビティも最後までやり切る集中力や、年下の子が小さい子の面倒を見ている、とお手本になる姿がありました。
 
 
もちろん個々に様々な課題は持っているけれど、自分や家族を大切に思う気持ち、一番大切なものがここにはあるのかなと思いました。
 
 
 
日本や私について振り返ってみると、私の場合本当の意味で自分の幸せさを知り、自分を受け入れて愛せるようになったのは、ここ1、2年のことでした。
 
日本には充分すぎるほどの富が当たり前のようにあって“自分が持っていないもの”をきっと“自分が持っているもの”よりも知っているから、満たされなくなってしまうのだと思います。
 
 
他にも“個”より“全体”を大切にする風潮や様々な原因があるとは思いますが。
 
 
 
貧困層の方々も日常の中で劣等感を感じたり、お金がなくて諦めたりする場面が必ずあると思います。
 
質問をしたら毎日幸せと答えてくれたけれど人の感情ってそんなに単純なものではありません。
 
貧困のせいで自分の子供や大切な人を亡くしてしまうこともあると思います。
 
そんな辛い感情も乗り越えて“幸せ”と口にできるのは、ある意味貧困に対する諦めと受け入れなのか、“幸せ”の絶対的な価値観なのか、何なのだろうと思いました。
 
 
 
貧困の問題は複雑で、こういったボランティアや支援は1つ1つその地を訪れて触れ合ってという、とても地道な活動に感じました。
 
けれど少人数では解決できなくても、現状を知って行動しようとする人が増えることに大きな意味があります。
 
 
そして何よりも現地の子供たちにとって、定期的にご飯が食べられて、学校に行けて、普通では触れ合うことのない“日本という国のひと”と関わりを持ったり踊ったり遊んだりり、子供たちの生活が少しでもカラフルになるということにとても大切な意味があると思いました。
 
 
まずは私も、周りの人に伝えることから始めてみようと思います
 
 
2020年3月
 
 

 
 
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