奈津子 大阪大学2年

勢いで申し込み、なんとなく当日を迎え実感もないまま初めての1人海外を地味にこなし…そのような感じで本当に初日はふわふわしていた。

このままずっとふわふわと現実感がないまま終わるかと思ったがアクビティ1日目、墓地スラムに降りたった瞬間からその衝撃がずっしりとのしかかり思考が止まらなくなっていた。

臭い、子供たちの服、まなざし、砂ぼこり、謎の鳥…写真や動画では何も伝わっていなかったのかと、疑うほどに五感全てで感じとった情報に言葉を失った。

目が合えば笑って手を振ってくれかけよってくれる、そんな純粋な子どもが一生懸命ダンスやおり紙をしている姿は本当に可愛らしくエネルギッシュであった。

だが一方で黒く虚無のような瞳の子供も気にかかった。

墓地の住居は想像の倍、子どもがいたし、生後間もない赤ん坊、お年寄りの方も見られ驚いた。

墓地での素直な感想はこのように考えた自身の人格を疑うが正直なところ、どうにもならない。無理だ…。といった消極的なもりであった。

そのような思いを抱えたまま、次の目的地、山岳地域に行ったが、そこは少し印象が異なっていた。

日陰で涼しい。勝利を喜ぶ男の子も控え目な女の子も、走り回るちびっ子も日本の子どもたちとなんら変わりはないのに笑顔がキラキラして見えた。

一日で2つの場所に行き比較するに、広い目で見ればどちらもスラムとして変わりはないかも知れないがその差は実はとても大きなものなのではないかと考えた。

2日目は、まさに怒涛の1日であった。

元々墓地であった場所が火事になり、その更地を政府の資金で家を建てた、と聞き、昨日の自分の消極的な考えを恥じた。

資金援助の可能性を感じた。

だがその道のりは長いとも思えた。

二つの場所での家庭訪問は私たちの質間が不快ではないか、説明が不快ではないかと気になってあまり集中できなかった。

日本では未だアクティングもあり受け入れも少ないLGBT当事者も.お母さんが「is not  here」と説明される子も笑いはするが、どう思っているのだろうとずっと考えていた。

ロイくんミヤちゃん本当に綺麗に笑うから泣きそうになった。

非行に走らず絶対にこの先も幸せに笑っていてほしいと思った。

フィリピン人に生まれてきて良かったこと、心に悩みがあっても笑うのがフィリビン人であること。

この言葉はネガティブな私につきささった。

産業が圧倒的に不足するフィリピンで何をしたら良いのか確定できなかったが何故貧しいのか、どのように貧しいのかを知ることができた。

新たな自分、新たな思考形態、新たな考えを本当に多く手に入れることができた。 非常に充実し、楽しく、人の優しさに触れた、あっという間の時間であった。

2023年3月