夢菜 長崎大学 3年

グローリアセブの活動に参加しようと思ったのは、自分の目で、世界を見て考えるという経験をしたかったからです。

大学1年次に国際援助についての講義を受講した際に、発展途上国と、日本が行っている支援(母子手帳の普及など)について知り、興味を持ちました。

加えて、看護学専攻で学んでいると、資格取得が目的になりがちだったため、このようなボランティアに参加して、医療のことも含め、環境や子どもたちの教育、生活について知り、視野を広げたいと考えました。

活動では、子どもたちと、ダンスやお絵描き、折り紙、ピンポンリレーなどのアクティビティや、青空教室などを行い、その中で見える子どもたちの優しさ、可愛らしさ、明るさ、人懐っこさに毎日圧倒されていました。

「貧困に苦しむ子を助けられたら」という思いでセブまでやってきたのにも関わらず、こちらが子どもたちからパワーをもらう形になりました。

ここに来るまでは、メディアなどの影響で、発展途上国の貧しい子どもたちは、笑顔がなく、子どもらしく過ごせていないというようなイメージを持っていましたが、実際は全く違い、家族、コミュニティで助け合い、笑顔で、みんな幸せそうに暮らしていたのが本当に印象的でした。

どこのスラムもコミュニティの結び付きがとても強く、どの子たちが家族・兄弟かわからないくらい、家に遊びに来たり、みんなで遊んだりしていて、今の日本ではあまり見られない光景だと感じました。

今後、核家族化が進む日本でどんどん各家庭が孤立して、地域やコミュニティの結び付きが薄まっていくのが少し怖いなと思いました。

どれだけインフラが整備されて、環境が整われても、家族や地域などの、人との関わりを失ってしまえば、きっと人は生きていけないし、人との関わりが生きていく上で非常に重要であるということを、活動を通して考えさせられました。

次に、衣食住がそろうことのハードルの高さを感じました。

墓地、ガラスの地域のスラムともに共通していたのは、職があること。

仕事があれば、毎日収入を得られて、家族を養うことができます。

一見暮らしにくい、危険な場所でも、そこにスラムができるのは、理由があるのだと知ることが出来ました。

もし、これらのスラムで、政府から立ち退きを命じられれば、違う地区へ移住することになります。

そうすると、収入が得られず、子ども達の教育費が払えなくなったり、「食」においてご飯を食べられなくなったり、「衣」において靴や服を買えなくなったりします。

日本では当たり前に揃うものも、貧困によって、スラムに暮らす人の中ではいつなくなってもおかしくない状況であるということを知ることができました。

また、2日目に行った家庭訪問の中で、妊娠や出産について母親たちにインタビューするという貴重な経験をさせて頂きました。

多くの母親が第1子を20歳以前で産んでいて、日本よりも非常に若いことがわかりました。

フィリピンは女性社会で女性が家族を支えている傾向にあるのにも関わらず、このように出産の平均年齢が低いのは、性教育や、女性のライフプラン選択という面で遅れがあると感じました。

性教育などについては、看護師資格や助産師資格を取ってから、ボランティアなどで教えに来られたら、などと自分が今後できそうなことは何か考えるきっかけになりました。  

そして、活動全体を通して、普段自分が暮らしている環境が当たり前では無いということに気づくことができました。

スラムの子どもたちが、収入を得るために物を売ったり、ゴミを集めたりしながら、学校に通って、夢を持っている姿を見て、自分も置かれた環境でもっと頑張らなきゃなと思い、モチベーションに繋がりました。

本当に本当に、セブのこの活動に参加してよかったと心から思います。

この経験を人生の糧にして、これから頑張ります!

2023年9月

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