グローリアセブ インターンスタッフ体験
すみれ 筑波大学
私がグローリアセブのインターンシップに応募した理由は、青空教室について知りたいから、同じものに興味関心をもつ人々と出会いたかったから。
スタディツアーや観光で何度かフィリピンを訪れたことで、もっと長い期間フィリピンに行き、もっと知りたいと思うようになった。
世界の最も裕福な225人の総資産は、世界中の下位所得者層47%(25億人)の年間所得に匹敵する。
そのたった4%があれば、『全世界の人びとに基礎教育、基礎医療、適切な食料、安全な水と衛生設備を、また、全ての女性のためにリプロダクティブ・ヘルスを提供し維持するコスト400億ドル』を賄うことができる(宇田 2005: 26-40)。
上記はAWARD2004受賞作品の写真家・宇田有三のスライドショー「ゴミに暮らす人びと」の内容だ。
では、なぜ世界の貧困は無くならないのか。
それは、「無関心」によるものが大きいのではないだろうか。
今回、私が訪れたフィリピンの貧困の背景には、その他にも社会制度、宗教的・歴史的な価値観などがある。
まず、社会制度に関しては「黙認」が多い。
スラムをなくす、地方自治法の改善、貧困家庭への支援など、様々な取り組みがあるが、実際には中途半端、無謀ともいえるようなものが多く根本的解決には程遠いように感じる。
続いて、宗教的歴史的価値観においてはスペインとアメリカによる植民地支配やカトリックの信仰がフィリピンやフィリピン人に大きく影響している。
持っていない人は持っている人からもらえば良い、
何とかなるさの楽観視、
不確定な未来より今を優先すべき、全てのフィリピン人に当てはまるわけではないが、これらの意識が貧困につながっている。
そして、最も大きい要因の一つとして人々の無関心があると考える。
これは、富裕層、貧困層の両方に当てはまる。
富裕層と貧困層では、住む場所も普段利用する場所も異なる。
それゆえ、あまり互いのことに意識が向かないのではないか。
富裕層にとって貧困層とは、日本でいうホームレスのような存在なのかもしれない。
どんな生活をしているのか知らない、
何を考えているのかも知らない、
興味も湧かない、
知っているのはその存在のみ、
いや寧ろ最富裕層の人々は存在すらも知らないということがあるかもしれない。
マニラに住む富裕層がトライシクルを見て、「あれは何だ?」と居合わせた日本人に聞いた、というエピソードを以前聞いたことがある。
これは貧困層の富裕層に対する興味や関心とも似ているのではないか。
家庭訪問で知ったスラムの暮らし
ロレガやティポロでのインタビューでも、あまり多くを望んでいない、という印象を受けた。
自分の子どもには将来学校を卒業し、良い職に就いて欲しい、そして今よりも少しでも良い暮らしができれば…、
日本でも同じように考える人は少なくない。
しかし、フィリピンの場合は想像できるレベルの現実的な暮らしを目標にする、あるいは夢見る人が多いように感じられた。
日本では一攫千金を誰しも夢見ることがあるだろうし、何不自由ない暮らしをしていても更にそれ以上のものを求めたり、そのために宝くじを買ったり勤勉に働いたりする。
インタビューでは各家庭に訪問したことで彼らが普段どのような場所で寝ているのか、洗濯はどのようにしているのか、日常の生活を垣間見ることができた。
毎週、参加者が様々な質問をしていたが、ほとんどの週に共通していた質問がある。
それは、「今幸せかどうか」という質問だ。
どの家庭でも幸せだと即答し、その理由に家族がいること、ある程度の生活を送れていることを挙げていた。
ミアの家庭では、「常に幸せである必要はない」という意味合いの回答を母親が一度していたことがある。
毎晩の振り返りの会では、
これらの回答に家族との絆をみた
幸せの価値観の違いを知った
という感想が多く出た。
ここに、私は参加者とフィリピン人とのギャップや隔たりを感じた。
参加者の多くはスラムに住む人々が毎日を悲観的に、暗く生きていると考えていた。
確かに日本のマスメディアはそう思い込ませるようなシーンのみを切り取り、貧困=辛い、暗いといったイメージを私たちに植え付けようとしてくる。
もちろん日々の生活で悩むことも苦しく感じることもあるだろう。
しかし、それは程度は違ったとしても日本人も同じはずであるし、他人から突然「あなたは幸せですか?」と聞かれて、「不幸せだ。」と答える人はそうそういないのではないか。
二ヶ月間の滞在は、確かに私に我々日本人とフィリピン人との意識や価値観の違いを教えてくれた。
また、多くの日本人がもつ貧困層のイメージとは異なる、彼らのプライドを知ったようにも思える。
貧困=可哀想というイメージを払拭することは大切であるが、だからこのままで良いのかもしれない。
下手に手出しをする必要はない、と考えてしまうのはまた違う。
インタビューの中では、薬を気軽に求めることは難しい・幼児の世話があるため身動きを取りづらい、という声を何度か聴いた。
ドゥテルテ大統領に代わってからは麻薬やタバコの取り締まり等、抜本的ともいえる政策がおこなわれている。
これらには賛否両論あるが、セブの貧困層の生活に沿わせるという、良い意味で影響力のある政策を立てる日は今後来るのだろうか。
例えば
薬へのアクセスをしやすくする政策
セーフティネットをより強固にする政策
必要に応じてバランガイごとに無料の託児所を作り母親の仕事を助ける政策
学校に給食を無償で提供する政策など・・・
託児所や給食センターができることで大人が仕事をしやすくなったり子どもが学校に行きやすくなったりするのではないか。
ドゥテルテ大統領が主に政策に掲げるインフラ整備の加速・財政改革・規制緩和・治安対策・汚職対策からは未だ外れており、どのレベルで実施するかにも左右されるが、住民がより気軽に提言できる環境、それを聴き、より具体的に動くことのできる環境が今後つくられていく必要がある。
これまで出会った人々と話す中で私が感じた彼らのニーズは上に述べたものである。
アクティビティの振り返りと青空教室の考察
ボランティア活動では各地の子どもたちと触れ合い、様々なアクティビティをおこなった。
折り紙、お絵かき、ダンス、紙ヒコーキ大会、名札作り、ペイント、国旗当てゲームなど多岐に渡ったが珍しい事物やゲーム形式のものに特に食いつきが良かったように思える。
参加者も一緒に楽しめるもの、せっかくなので普段はやっていなさそうなこと、子どもにとって何か役立つこと、これらを軸に毎回考えてみたが、アイディアを出すのは大変だった。
普段あまり関わることのない年齢層、日々の過ごし方も異なる環境、何をすれば良いのか悩んだ。
一週目は他の参加者と同じ目線での参加で、多くの新しい情報を吸収し、目の前のことだけに向き合うので精一杯であった。
うまく子どもを巻き込み、彼らの興味関心のツボをつくようなアクティビティをみて、自分たちでも考えられるのかと余計に不安を覚えた。
二週目からは兼村さんとの相談の末、お絵かきやじゃんけん列車などに挑戦してみた。
二人の間、アイビーとブリースとの間、参加者との間、子どもたちとの間、それぞれで連携をとり滞りなく進めるのはこんなにも難しいのかと日々反省する毎日だった。
少しでも間が空くと子どもたちの集中力は切れてしまう。
まずは連携を取ることを目標に毎日のように悩み考えた。
三週目以降からはだんだん子どもからも認知され、参加者にもいつ何を伝えれば良いのか考えられるようになってきた。
特に三週目のロレガでのアクティビティでは、前もって参加者に各々紙ヒコーキの折り方を練習しておいてもらい、流れを説明しておくことで、当日も少しの声かけで意思疎通を図ることができた。
チームを作り子どもたちと参加者との交流の場をもうけ、ゲーム形式でおこなった紙ヒコーキ大会は、二週目のアクティビティよりも断然良いものになったのでは、と子どもや参加者の反応をみて感じた。
学校に通っている子どもの学習状況に詳しくなかったため学校のレベルも踏まえて考えることができなかったし、各バランガイでの日常を知らず、当初計画していたごみ問題に迫る何かに手を出すこともできなかった。
心残りはあるが同じ場所を何度も訪れ、同じ子どもたちとコミュニケーションをとったことで今後に繋がる何かは得られたはずだと確信している。
私が今回最も気になっていたサントニーニョアクティビティ(以下青空教室と表記する)
想像していたよりも勉強の要素が盛り込まれていることを知った。
彼らの将来のためにも一番必要である英語に特化し、多くの人で賑わう公園で毎回文法やリスニングを勉強する様子は印象的であった。
アンケートをとり、彼らは何を感じ、何を考え生きているのか、彼らにとって青空教室とはどのようなものなのか知りたいと思った。
「あなたにとって青空教室とは」
「今までで一番悲しかったことは」
「青空教室に参加したことで何か変化はあったか」
答えづらい抽象的な質問もいくつかあったが、子どもたちは一生懸命回答してくれた。
まず、青空教室がどのようなものか、という質問にはほとんどが、学ぶための場だと回答し、他には将来のために必要なものだ、自分を理解してくれる場との回答もあった。
グローリアセブの活動に参加する前の私は、彼らにとっての青空教室とは息抜きのような場所でもあると考えていた。
日々の学校での勉強や路上での物売りから解放される。同じ境遇の仲間、自分の味方となるスタッフと過ごす時間はリフレッシュにもなるのではないかと考えていた。
実際はもう少し違った。
まずは英語の勉強から入る。
年齢が違う子も同じ問題を解く。
子どもたちの様子を見ると、淀みなく解いていく子ども、え?と不安になるくらい間違った答えを大量生産している子ども、様々であった。
たまに答えを見せ合うお茶目な一面を見せつつも問題に真面目に取り組んでいた。
青空教室に参加してから何か自分に変化は起きたか、という質問には、
日本語の知識が増えた、
積極的になった、
物売りを一生懸命するようになった、
との答えがあった。
最も多かった回答は、学びが増えた、というものであった。
路上での物売りなど、家族ぐるみの仕事は子どもの選択肢の幅、視野が狭くなる可能性が大きい。
青空教室に参加することで、スタッフや日本人参加者から新しい文化や考えを学んだり、何か新鮮なものを得られたりする。
定期の面談でも勉強の大切さを再確認することができる。
成績によっては支援を受けることができなくなり、将来の夢からも遠ざかってしまう。
勉強も、物売りも、日々生きるために必死なのだと学んだ。
お金のみの支援だけではなく、青空教室に参加することは同じ目標に向かって頑張る子どもたちにも相互に良い影響を与えているし、頻繁に来る日本人から日本語を学び日本の文化を知り、友達になることで彼らの自信にもつながっているだろう。
まだ10代前半の彼らには今後、将来、学校、友達に関する事柄で悩む時もたくさんあると、自分のこれまでのまだ短い人生を振り返ってみて思う。
二ヶ月弱、会ったのは10回にも満たない子がほとんどだが、どの子も毎回フレンドリーに接してくれ、素直に嬉しい気持ちでいっぱいになった。
だからこそ、何とか義務教育を終え、できることならば希望する職に就いてほしいと切に感じる。
日々を懸命に生きる彼らに出会い、私も自分の人生にしっかりと向き合い、努力を惜しまず生きていこうと思い直した。
日本で何ができるか
国内でできる活動は主に周知活動と投資活動に限られるのではないか。
前者はSNSによる情報の配信、写真展、各イベントや学生団体への参加など、後者は募金、クラウドファンディング、物資の支援、スタディツアーへの参加が考えられる。
個人が日本でできる活動は少ない。
しかし、情報を発信していくことでより影響力をもつ誰かに届き、さらに何かに繋がる可能性はあるし、お金や物資の支援で少数でも確実に誰かの役に立つ。
もし、時間とお金に余裕があるならば、スタディツアーに参加するのが一番だ。
それは実際に現地を訪れることで人々の生活や生の声を知ることができるからだ。
そして何よりも大きいのが、どこかの知らない誰かのため、ではなく、名前も顔も知っているあの子のため、という意識に変わることだ。
知らない人のためよりも、知っている人のための方が人は動くものだろう。
スタディツアーに参加することで、その後直接的ではないかもしれないが何かしら気持ちの変化はあるはずだ。
私がそれを顕著に感じたのがサントニーニョを訪れた時である。
昼食をとってから教会の方へ向かうと、多くの物売りに囲まれた。
拙い日本語で話しかけてくる人、
商品を無理矢理持たせようとしてくる人、
買うまで絶対に引き下がらなさそうな人・・・
これがマスメディアなどでみたことのある現実かと思った。
また、プトチーズを配った時には真剣な顔をして奪い取ろうとしてくる大人たちに囲まれた。正直、怖かった。
良い年をした大人が小さなお菓子に本気になる事実に衝撃を受けた。
フィリピン人イコール明るい
マイペース
優しい
というイメージがついていたため、もちろんそのような人ばかりではないし、それほどまでに必死に生きているのだと実感した。
だが、青空教室を終えた後、何週間か経ってからだんだんと見方は変化した。
彼らの生活の足しになるのであれば、素直に買えば良いじゃないか、と思うようになった。
怖いと思っていた大人の一部も、彼らの親だと知り自分の中では少し心の距離が縮まった。
ただ、観光に来て名前も知らない赤の他人から急に売り込まれたら、訝しげに思うことの方が多いし、もしかしたら少し鬱陶しくも感じるかもしれない。
人を知る、ということだけでこんなにも気持ちに変化が出るのだと知った。
今回のソーシャルボランティアでも日を追うごとに参加者の気持ちが動く様がみてとれた。
山での生活の不便さを知り、海沿いのスラムはゴミにまみれていることに気付き、ダンプサイトで想像もしていなかったような環境に足を踏み入れる。
毎日、「衝撃」が更新されていく。
マスメディアや人伝ての情報だけでは分からなかった臭いや暑さに顔をしかめながらも、明るく朗らかな人々と触れ合い、自身が持っていたイメージとのギャップに驚きを隠せない参加者は多かった。
友達に誘われて少しの興味で訪れた参加者も含め、特に日曜日のダンプサイトを訪れた後の振り返りの会では辛そうに感想を話す人が多く印象的であった。
オリエンテーションでは「何となく来てみた」と話しながらも、毎日様々な場所を訪れ、真の情報を得ることで現実と真剣に向き合っていく参加者が多いようにみえた。
また、同じ興味をもつ仲間に出会えるというのも大事な要素だ。
様々な背景をもつ新しい仲間との出会いは自分の視野を広げるきっかけにもなるだろう。
ほんの少しの意識変化でも、その人の人生には今後何らかが活きていくに違いない。
だからこそ、私はスタディツアーへの参加をすすめたい。
貧困層の子どもたちの現実
一週目のダンプサイトでたまたま話しかけた少女との会話が今でも忘れられない。
お互いの名前、年齢をポツポツと話した後、おもむろに「My mother has no rice.」と言われた。
それからその少女は「My father has no rice.」
「My mother is sick.」と続けて話した。
「Give me money.」
「Give me rice.」と言われたわけではない。
それだけに余計どんな返答をすれば良いのか分からず困惑してしまった。
他の参加者が将来の夢を聞いていたがそれには特に答えることなく黙ったままであった。
二週目、三週目からは、その子の姿を見かけたら積極的にコミュニケーションをとるようにしてみた。
彼女も私の存在を覚えてくれ、笑顔も見せてくれるようになった。
何週目かにもう一度将来の夢を聞いてみると、先生になりたいとの答えが返ってきた。
両親の話や貧しい、といった類の話を彼女がすることは一週目以降なかった。
一週目の彼女の発言にはどのような思いが込められていたのだろうか。五週目以降、彼女の姿を一度も見ていないので心配である。
コロンストリートでは汚れた服を着た男の子が1000ペソを握りしめてファストフードのお店に入ろうとすると、警備員から殴りかかる勢いで入店を止められそうになっていた。
思わず足を止めて見てしまったが、どうやら両替をしてほしかったらしい。
店員には断られたようで、外に迎えにきた母親らしき女性と帰っていった。
警備員は、私たちの目線に気付き、時おり笑顔で少年と話していたが、知り合いで仲良く話しているというよりは、友好的に見えるような振る舞いをしつつも子どもを追い出しているように見えた。
サントニーニョ教会近くの土産屋でも、入り口近くで観光客を待つ物売りたちを警備員が威嚇しているのを見たことがある。
もしかしたら何でもかんでもネガティブな方向に捉えているだけかもしれないが、私の主観では路上で働く子どもたちは警備員や貧困層でない大人から阻害されているように感じた。
インターネットではそういった状況がある、との情報は得ていたが、実際にそのような現場を見るのは初めてだった。
この二ヶ月間、楽しいだけではなく、モヤモヤする出来事も多くあった。
二ヶ月弱インターンを経験したことで、もともと持っていた将来のビジョンがより濃くなったように思える。
それは様々なレベルの活動を連携、繋げることだ。
以前関わったNPO団体では、とにかく資金調達に苦労している、という話を聞いた。
一方で、JICA草の根パートナー事業による連携をとれた時には、それまでよりも効果的で広範囲な活動ができた、とも聞いた。
NPO、NGO団体の強みは専門性にあると考えている。
長年かけて築いた現地の人との信頼関係をもとに、人々の声を直に聴き、ニーズにあったものを取捨選択することができる。
何かの浅くて広い政策などももちろん必要ではあるが、それは本当に必要な人々には届かない場合もある。
その穴を埋めたり、本当に必要なものを選んだりと、比較的フットワーク軽く動けるのがNPO、NGO団体の特徴でもあるのではないか。
しかし、主に資金面で悩むことが多いのもその特徴の一つに挙げられるだろう。
専門性と信頼関係をもつNPO、NGO団体と、資金や影響力をもつ公的機関が結びつけば双方にとってより効果的な活動ができる場合もあるはずだ。
各セクターの利害関係やニーズに合わせて必要な場面での連携をとれるようにしていきたい、というのが今の目標でもある。
初めてフィリピンで一ヶ月以上過ごしたことで、フィリピン人の国民性や文化を今までよりも深く知ることができたような気がする。
仕事を始めとした様々なものに対する価値観の違い、明るくおおらかな国民性、もちろん一部に過ぎないだろうが多くを学んだ。
一言でまとめるのは難しいが、フィリピンをさらに好きになったのは間違いない。
そして、何か人の役に立ちたい、という想いも強くなった。
ロオクでは、時間をかけて仲良くなり、姿を見れば名前を呼び合うようになった子が何人かいる。
私なりに親しくなった方だと考えていた。
ところが先日、最終週に訪れると別れ際に言いづらそうに「give me money.」と言われた。
今まではそのようなことを一度も言ってこなかったしそのような素振りもしたことがなかったので驚いた。
最後だから言ってみようと思ったのか、多少は仲良くなったから私なら何かしらしそうだと考えたのか真意は計りかねた。
ちょうどおやつを買いたいと思っただけかもしれない。
ただ、普段は明るく無邪気に遊んでいる場面しか見せてこなかった彼らがやはり生活に苦労している、ということだけは改めて実感した。
だからこそ、目を背けずにこれで終わりにするのではなく子どもたちにとってもっと生きやすい環境をつくっていく必要があるのだと感じた。
セブでのインターンはとても濃い日々であった。
毎週、日本人参加者と考えを共有することができたのも収穫の一つだ。
日本各地から集まった、同じ興味関心をもつ人たちと話すのは楽しかった。
普段は全く違う分野の勉強をしていたり、私の知らない環境で生活していたりする人たちと共通のテーマで語り合っても、それぞれ違う切り口、見方をもっており、新鮮に思うことも多かった。
自分の視野も少しは広がったのではないかと思う。
できることならまた参加したい。
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