葵子 立命館大学 3年

日本で例年通りの夏休みを過ごしていたら絶対に感じず、考えないことに触れられた6週間でした。

報道や旅行先での実体験からフィリピンのスラムを訪れる前のスラムの印象は、外部の人間をよく思わない感情から生じる殺伐とした雰囲気がある場所だろうと思っていました。

ですが、実際の住民は見ず知らずの外国人に対しても挨拶をしてくださり、子どもたちはいつでも天真爛漫でした。

毎回企画したアクティビティをボランティア生と一緒に楽しそうに取り組んでくれていた子ども達でしたが、その背景には目を背けることはできない貧困の現実も感じ取れました。

貧困のレベルはスラムがある場所によって異なっていましたが、私が最も環境が整っていないように感じたのはお墓のスラムです。

一般にスラムは人が集まりやすい市街地の近くや、一方、水辺で洪水などの被害を受けやすく人々が住まわない地域に生じる傾向があります。

その中でも、お墓はお墓参りに来る人々にお花や蝋燭を売るという商売が可能であるため、住民が集まりやすく、各墓主に許可を取り生活をしていました。

日本では考えられない生活環境と倫理観ですが、貧困が深刻であるフィリピンではこれが現実でした。

このような環境に住む子ども達はみんな最低限の服を着ているという状態で、全裸や半裸状態の子もいれば、下着を着用していない子どもも多かったです。

また、衛生状態が良くないように思える子どもたちもいました。

そして、普段は無邪気で子どもらしい彼らでしたが、食事配給が始まるとそれまでの態度と一変する様子に衝撃を受けました。

我先にご飯が欲しいという様子でした。

さらに、古着の寄付が子どもたちに配られる際も同様の様子でした。

このように、服装や食事になると態度が豹変する様子から目を背けたくなるようなスラムの深刻な貧困さを痛感しました。

そして、活動の中でいくつか気になる点もありました。

それは、子どもたちの生活環境に対する意識と節々に現れる態度についてです。

この6週間、アクティビティを通して折り紙や工作など様々な物を製作しました。

しかし、活動を終えスラムを後にする頃には、地面に捨てられているという状態である所もありました。

また、食事配給の際にビニール手袋を一人一人に支給しましたが、すぐに破いてしまい新しい物をもらいに来たり、破けてしまった物や使用済みの物を地面に捨てたりという光景を何度も目にしました。

もちろん子どもは飽きも早く、一つ一つの行動は故意的ではないのかもしれません。

ですが、子どもたちは自分たちの住んでいる場所が異常にゴミで溢れている状態に慣れてしまい、その環境さえも自然と受け入れてしまっているのだと感じました。

さらに、フィリピン人スタッフの方が子どもたちに何度も声をかけても指示が通らず、騒ぎ続けている姿も目に付きました。

日本でも歳によっては指示が通りにくいという場合が多々あります。

それは、フィリピンでも同じだと思います。

ですが、ある程度の分別が付くような年齢の子どもであっても日本では注意を受けるような様子でいました。

私は、初めてスラムを訪れた際に生活環境の改善が必要であると真っ先に感じましたが、子どもたちの様子を見ていると“教育”が貧困を改善し、貧困から抜け出す最良で最短の方法であるということを思い知りました。

自分の考えが浅はかであったと気が付きました。

教育を受けることができ、学校に通うことができればゴミはゴミ箱に捨てる、ものは無駄にしない、人の話は聞くというような人として大切な習慣を自然と身につけられると感じました。

現に、前述した子どもたちと同年代で同じような生活環境で暮らしているものの、グローリアセブの奨学金支援を受けて学校に通っている青空教室の子どもたちや公立の小学校に通っている生徒には、前述したような様子は少なかったように思えます。

教育や学校が“貧困層の生活の中での当たり前”を払拭し、勉学と同程度に意味のある“人として不可欠な当たり前”を養える環境になっていると感じました。

フィリピンの小学校では成績が学業成績だけでなく生活態度も評価対象となっており、一人一人、将来の夢を持つ貧困層の子どもたちが納得いく成績で卒業し、夢を夢のままで終わらせないためにも“教育”による支援の重要性を体感できたと思います。

そして、今回の活動を通して私は貧困を医療の側面から支援したいと再認識することもできました。

家庭訪問で医療制度や現状について質問した際に、フィリピンには、無料で受診できるクリニックが存在しており、お産による病院の利用費もかからないと知りました。

スラムで生活する人々は医療を受けることもできないような状態だと思っていたので、少し安心しました。

しかし、クリニックの受診料が無料である反面、待ち時間が非常に長いという問題がありました。

誰でも、どんな時でも利用できることが医療の理想の形でありますが、スラムでの医療は受けたくても、受けたい時に受診できないということが現状でした。

実際、家庭訪問先のお母さんの体調が優れない時がありました。

お母さんは熱がある状態で質問に応じてくださいましたが、その家庭にはまだ母乳を飲んでいる赤ちゃんやおばあちゃんも生活していました。

家の広さは一人一畳もない大きさで衛生設備も整備はされておらず、生活環境や衛生状態の悪さによる病気へのリスクは常に隣合わせだと感じました。

また、フィリピンは宗教上の理由から避妊や中絶が禁止されています。

そのため、スラムでも沢山の子どもがいる家庭や若年層の妊娠が多いそうです。

宗教による信仰を強制的に改変することは避けるべきであり、宗教と性の関係はヨーロッパ諸国でも議論が続いているほど向き合い方が非常に困難な課題です。

ですが、例えば学校での性教育により妊娠だけでなく、命さえも落とす可能性のある性感染症や性犯罪のリスクの軽減に繋がると考えます。

このような、医療が必要な時に利用できない状況や子どもたちの将来が病気等で潰されてしまう可能性が医療支援を通じて改善、減少されるよう貢献したいと思いました。

6週間の体験から毎日の衣食住を心配することなく、夢を叶えられる環境にいることがどれだけ恵まれたことなのかを実感しました。

日本人から見れば想像もつかないような生活をしていても、スラムの子どもたちは明るくエネルギーに満ち溢れていました。

そんな居るだけで場が明るくなるような子どもたちの存在が、スラムの大人たちにも元気やポジティブさを伝染させているように感じました。

今回、訪れることができたのはセブ全体からすれば一部のスラムであるとは思いますが、1日でも早い環境改善を願うとともに、子どもたちが心も身体も健康な状態で生活できるよう、将来自分も貢献できる人材を目指し努めていきます。

さらに、セブが持つ輝かしい風景の裏側には想像もつかない事実が存在していることを多くの人に伝えようと思います。

この体験談を通して活動に参加するきっかけとなる方がいれば幸いです。

2024年8月~9月