琴子 大阪公立大学2年
グローリアセブのボランティアの参加は最初友達に誘われたことがきっかけであまり能動的ではなかった。
ただ、ボランティア活動を終えた今、本当に参加してよかったと心から思う。
フィリピンのスラムは良い意味でも悪い意味でも今までの人生で見たことない景色ばっかりで刺激しかない1週間だった。
日本で生まれて日本で育った私からは考えられない生活を目の当たりにして正直最初は拒否反応を感じた。言葉が通じないのはもちろん、街の雰囲気や住居の衛生状態、全てが異世界でやっていけるのだろうかと不安でいっぱいだった。
2日目にスラムに訪れたとき、そこは街や自分たちの泊まっているところ以上に異様な世界で、衝撃を受けたのを覚えている。
こんなところに人が住んでいるのか、この衛生状態で人は健康に生きていくことができるのか、疑問だらけだった。
しかし、そこに住む子供たちの表情がびっくりするくらい明るくてそれにも驚かされた。
日本の子供たちの方が衛生状態が良くて、好きな物を買ってもらえる、相対的に見て裕福な暮らしをしているはずなのに日本の子供たちよりも明るく、自由に生きている感じがして、裕福と幸せは比例していないのだと感じた。
また、異世界を経験して初めて、この世界は私からしたら異様な世界だが、ここに住んでる人からしたら当たり前の世界で、当たり前の生活であるのだと当たり前のことに気付かされた。自分が持っている常識は本当に狭い世界の話なんだと思った。
今回のボランティアを通じてもっとも考えさせられたのは自分たちが考えている幸せの基準は全国共通では無いということについてである。
私はフィリピンのスラム街の生活を見て衛生状態が悪いこと、雨風がしのげる家では無いこと、などから暮らしにくく不幸せであると判断した。
しかし、彼らはそれを苦としている雰囲気はなく日常のささいなことを楽しんでいた。
私たちは彼らが楽しんでいることを当たり前にある事だと認識して楽しむことをしていなかったのでフィリピンに渡ってその当たり前のありがたみを知ることが出来たのは人生において大きな経験値になるだろうと考えた。
しかし、スラムの人達は幸せそうだったが、その理由を考えた時にそれはほかの世界を知らないからでは無いかと思った。
自分たちとは違う世界を知らないからその世界と自分たちを比べて劣等感を感じることがないのではないかと考えた。
劣等感を感じないのはいいことかもしれないが、比べないが故に向上心ももつことはないかもしれないと思った。
人が技術を得ようとする動機には他との競争心が大きく関係していると考えるので、他の暮らしと比べずに生きていると今の生活を変えようとしなくなるため、技術が発展していかないのではないかと考えた。
フィリピンが今後発展していくためには私たちのような外部からの刺激も必要だが、そこに住む人々が他の世界を見て、自分たちの生活と比べて、向上心をもつことが最も大事なのではないかと考えた。
それは、人間は能動的に行動する方が多くのことを吸収しやすくなると考えるからである。
フィリピンの人達と触れ合って、日本人には無い親しみやすさや温かみを感じて根から心が綺麗な人が多いと感じた。
なので余計に彼らにはもっと色んな世界を見て向上心をもち、色んな夢を持って欲しいと考えた。
私達がギブするのではなく、彼ら自身が変わろうとする意志をもつことが貧困を無くすためには必要なことなのではないかと考えた。
最終日、斉藤さんがボランティア活動に参加するとこちら側が受け身になって様々なことを受け取るとおっしゃっていたがまさにその通りで彼らからエネルギーや元気、新たな人生観を得ることが出来て本当にいい経験が出来た。
学生のうちにこの経験ができて本当に良かったと思っている。
これから自分の人生の進路を決めるのにも役に立てたいと考えている。
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