日菜子 大阪公立大学 2年

グローリアセブのボランティアに参加して、社会の授業でみた、教科書に載っているスラムの写真が本当に実在するんだなというのが一番の印象でした。

実際にスラムに足を踏み入れて、日本では考えられないような環境で生活している人がたくさんいて、衛生状態や食べ物も本当に今まで見てきたものとは違い衝撃でした。

でも、そこで暮らしている人たちは目が合うだけで笑顔を向けてくれたり、たくさん話しかけてくれたり、環境とは真逆の雰囲気で驚きました。

スラムで話を聞いて、そこで暮らしている人はその環境で生活することに、私たちが思うよりもしんどい思いはしていないということがまず最初に学んだことでした。

スラムの子どもたちと多く交流すると、目をキラキラさせて無邪気に遊ぶ子どもたちがたくさんいて、貧困が無条件に不幸なことなのか、幸せとはなになのかということを考えさせられました。

私たち日本人は飲む水にも、衛生状態にもほぼ困らずに生活でき、スラムの人たちと比べると毎日とても快適に生活できているはずなのに、スラムの人たちに幸せな時はいつかと聞くと毎日という答えが何度も返ってき、幸せを感じている瞬間はスラムの人たちの方が快適に過ごしている日本人よりも多いと感じました。

しかし、母親など大人に話を聞くとやはり生活がしんどいという声があり、子どもは無邪気に暮らせているけど、家庭を持っている人はお金に困ったり、子どもの世話を十分にできてなかったりと、問題は様々に浮かんでいました。

また、この活動で色々なスラムに訪ねてわかったことは、貧困の中でも格差があるということでした。

同じスラムでも、携帯を持っていたり持っていなかったり、遊び方や着ている服が違ったりと、貧困は貧困でもその程度には差があるということがわかりました。

携帯などもないスラムでは、ここを抜け出したいという話はあまり聞きませんでしたが、携帯などがあると、他の世界を知るきっかけがあるので日本に来てみたいという声やスラムを抜け出したいという声がありました。

スラムをなくすために様々な対策はもちろん必要ですが、最終的にはその場にいる人たちがここを抜け出したいという思いをもたないとスラムはなくならないと思うので、そういう気持ちを持ってもらうことはとても大事だと感じました。

ボランティアは支援することが一番の目的だと思っていましたが、私たちが行くことで、現地の人たちが日本に来てみたいなどの気持ちを持つきっかけにもなるので、そういう役割もあるのだと感じました。

スラムを解決するには、国がお金などを出して、スラムをなくすことが根本的な解決策で、それが一番いいと思っていましたが、この活動を終えた今、スラムをなくすことが直接貧困の解決につながるということではないと考えるようになりました。

スラムがなくなると表面的には解決したように見えますが、実際スラムに住んでいた人が貧困から抜け出したかというと、そうではないとわかりました。

スラムに住んでいる人たちはそこでしか仕事ができないので、スラムから追い出されたところで別の仕事が見つかるわけではないし、また同じような仕事を見つけて、違うスラムができあがってしまうという連鎖になりかねないということを学びました。  

今回のボランティアを通して、スラムのさまざまな面を知ることができました。

スラムの環境の現状、子どもたちの無邪気な明るさ、生活にしんどいという声など、現地に行くことでしかわからないことがたくさんありました。

また、スラムは一筋縄では到底解決できない、とても複雑な問題だということを身にしみて感じることができました。

今自分の生活している環境は当たり前ではないということを意識し、またボランティア活動などに参加することで少しでも貧困が解決の方向に向かってほしいと思います。

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