フィリピン セブ ソーシャルボランティア体験談

けいいちろう 中京大学
 
今回のセブ島ボランティアで自分の中の価値観や考え方が大きく変わったという観点で、一生ものの経験になったと感じている。
 
 
正直最初は不安な気持ちでいっぱいだった。
 
海外なんて今まで行ったことないし、ましてや英語なんて全く喋れない。
 
 
現地の人と話せなくて何もできないまま帰国してしまうのではないかとずっと考えていたが、終わってみれば最高の1週間になっていた。
 
 
子供達と話すのに日本で習うようなかっちりとした文法は必要ではなく、子供と本気でどれだけ触れ合えるかが何よりも大事であると私はこの1週間を通して知ることができた。
 
しかしこのまま英語を喋れないままでいようとは思わず、むしろこれからもっと英語を勉強していきたいと感じた。
 
 
と言うのもこのボランティアは確かに子供だけでなくスラム地区の大人とも触れ合えて本当に楽しいものであったのと同時に、貧困という問題の巨大さを少なからず感じ取ることができたからだ。
 
斉藤さんの話でもあったようにフィリピン政府は2020年までに貧困をフィリピンから無くそうと取り組んでいるらしいが、現場を見る限り「無くす」のではなく他の国からは見えないように「隠す」ことをしているようにしか感じなかった。
 
これはあくまで私個人の見解だがこの問題はフィリピン政府の怠惰な部分もあるが、それだけ貧困というものを根本から無くしていこうとするのは非常に困難なものであり、そうせざる負えない状況も少なからずあるのではないかと思う。
 
 
そして、これはフィリピンのセブ島だけでなく世界の多くの国がそうではないかと考える。
それだけ貧困とう問題は巨大なもので最早1つの国だけで処理できるものではないのだと思う。
 
しかし、こんなにも巨大な問題がこの地球上に数多く存在するのに我々日本人の反応は「可哀想」や「こんな貧困があるのか」といった他人事になってしまっている。
 
そして、私もこのボランティアに参加するまでは同じような考え方で日本での恵まれた生活が当たり前のように感じていた。
 
 
日本では、勉強がしたくなくても大学に通うことができるが、日本から1歩外に出たら環境が違うというだけで勉強が大好きなのに大学に行けない子供もたくさんいる。
 
 
 
今回、私が訪れた子供たちは学校に通っている子供は最初のイメージより多かったが、それはグローリアセブなどの団体の支援が大きく関係していると思う。
 
では逆にグローリアセブのような支援団体がない貧困地区はどうなっているのか。
そう考えている内に私はこのセブのボランティアというきっかけからもっと他の多くの国に行って貧困というものをこの目で見てみたいと思うようになった。
 
 
 
「貧困という問題にどうせ自分一人が動いたところで何も変わらない」という考え方は私を含め多くの人間が考えてしまっているから現状が変わっていないのだと思う。
 
私がこれから他の国の貧困を見て何が変わるのか今は全く分からないが、このセブ島ボランティアという経験から何もしないなんてことは絶対にしたくない。
 
できなかったことはできなくなってから考えれば良いし、それまではできることは全てやっておきたいと思う。
 
 
 
このセブ島もそうであったが子供達の笑顔を見ていたらとても貧困で苦しんでいるなんてものは全く感じなかった。
 
感じなかったからこそ子供が自由に夢を見てそれを叶えることができる環境をつくることが、恵まれた環境で育つことがたまたまできた私達のするべきことであるとこのボランティアで何よりも強くそう感じた。そのためにも英語をもっと勉強して他の国の子供達とたくさん話したいと思う。
 
 
 
最後に1週間と言う短い期間ではあったけれど子供と触れ合う時間はとても至福の時間であり、いつも白いTシャツがどろどろになってしまったが嫌なんて思うことは一瞬たりともなかった。
 
子供と触れあっている内に逆に子供から学ぶことが多く自分の中の幸せの価値観は大きく変わった。
 
 
もうあの子達に会うことは二度とないかもしれないが彼らに出会えて本当に良かったと思う。
そしてそのきっかけをつくってくれたグローリアセブには本当に感謝してします。

 
2019年9月
 

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