桃花 立教大学2年
フィリピン セブ島のボランティアに1週間参加し、様々な地域を訪問し、様々な家庭環境の子ども達と触れ合った。
その中で印象的だったことは子どもの笑顔と環境である。
どのアクティビティでも子どもたちの方から私たちに寄り添ってくれた。
そして積極的に話をしてくれたり遊びに誘ってくれた。
このような姿は日本では珍しいと思う。
私は日本で子どもたちにペン字教室を開いた経験があり、自分が生徒だった頃の子どもの態度と、自分が教える側としてみる子どもの態度のどちらも知っているつもりだった。
しかし、フィリピンでのボランティアを通して、また新たな子どもの態度、姿をみることができ、同時にこれが子どものあるべき姿だとも思った。
私はゼミで教育哲学を学んでいるが、そこで学んだのは子どもは神的存在であるということだ。
子どもは本来、疑問を多く持ち興味や関心が大きい。
しかし、私たちは成長するにつれてだんだんとそれを持たなくなる。
その原因として大きく関わるのが学校の制度だ。
日本の学習は“個”になっている。
しかし、今回訪れた場所では、子どもがのびのびと暮らし、アクティビティに参加し、地域とのつながりが深いということが分かった。
日本の教育に不足していることとして、関わりの希薄さがあるのではないかと感じた。
また、スラムの子どもたちに笑顔が溢れているのは、のびのびと今の前にある幸せを感じながら楽しく日々の暮しを送ることができているからだと思った。
ゴミ山や川の上のスラム、基地のスラムといった環境だからこそ、今ある幸せを楽しみ、自然と笑顔が溢れているのだと思う。
私たちは、毎日の当たり前をありがたく感じることができているか。
ボランティアで訪れたスラムの子どもたちのように、食べ物があること、家族と暮らせること、学べていることの幸せを感じながら毎日を過ごせていただろうか、大人が子どもにそれを感じさせる場面は本当にはあるだろうか。
子どもが子どもらしくいられるようにするには、日本がここセブの暮らしを真似することもたくさんあると感じた。
具体的に、教職をとっている身として感じたことは、アクティビティ前のお祈りとダンス活動は日本でも取り込むべきだと思う。
これらにより、子どもたち自身が自分の今からする活動に対するモチベーションが変わると思った。
次に環境についてである。
衛生面は今後を改善すべきところであり支援が必要だ。
しかし、ごみ山で生活をする人々、洗たくをして賃金を得ている人々がいるようにこの環境だからこその人々の暮らしもある。
このことから私たちは、ここに住む人々に寄り添った支援が必要であると改めて感じた。
一方的な上から目線による支援ではなく、実際に目で見て感じて、そこに住む人たちにとって今何が必要なか理解した上でそれを支援することが大切だと感じた。
そのためにも、ボランティア活動がはじまる前に斉藤さんがおっしゃっていた「貧困を止めるのは教育」という話をもっと広める必要があると思った。
子どもたちには将来がある。
その将来を子どもたち自身で選択できるようにしなければならない。
まずはこの状況を世界に広め、子どもたちの笑顔あふれる姿を多くの人に見てもらえば、支援の輪が広がって いくと思う。
そのくらい、フィリピンでのボランティア活動は、楽しい、充実するといった 言葉では足りないほど貴重なものだった。
どんな人でも、グローリアセブでのボランティアを経験すれば、子どもたちの未来を守りたいと思うだろう。
私は強く思った。
まずはこの状況を少しでも多くの人に広めることが私にできる最初の一歩だと感じた。
2024年3月
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