フィリピンはなぜ貧困なのか。
その原因と解決策について、セブで12年間、貧困層の支援にあたってきた国際協力団体 グローリアセブが事例を交えながら解説します。
1.フィリピンの貧困率
フィリピン統計局の発表によると、2021年のフィリピンの貧困率は18.1%です。
貧困の定義は、一般的に世界銀行が定めている1日1.90ドル未満で暮らしている人のことを指しますが、フィリピン統計局の貧困の定義は、5人家族で月12,082ペソ(約27,000円)以下で暮らしている人を指しています。
この金額は、最低限の食事が摂れるラインです。
参考サイト
フィリピン統計局
2.フィリピンのGDP
GDPとは国内で生産された商品やサービスの利益を指し、その国の経済や豊かさを知る数値として用いられています。
世界銀行の発表によれば、2021年のフィリピンのGDPは3,941億ドル。
これはASEAN10か国のうちで、インドネシア、タイ、シンガポールに次いで4番目に高い数字なのですが、国民一人当たりのGDPではベトナムよりも低く、ASEANの中では下から3番目。
このGDPから、フィリピンは国全体としては経済成長を遂げているが、国民ひとりひとりの格差が大きいことが読み取れます。
参考サイト
World Bank GDP Philippines
3.フィリピンはなぜ貧困なのか
フィリピンが貧困国である原因は、国民の意識の問題と、抜け出すことのできない貧困の連鎖です。
例えば日本人が、今の生活から明日急に、フィリピンの貧困層の生活を強いられたら驚くことでしょう。
でも、貧困層は生まれたときから貧困なので、その生活が当たり前なんです。
人はどんなに貧しい生活を強いられても、裕福な暮らしを味わっても、10日もすれば、その生活が当たり前となり、辛さや幸せを感じなくなります。
生まれた時から貧困生活を過ごしていれば尚のこと。
意外かもしれませんが、スラム街の人たちは、毎日を楽しみながら生きています。
だから、貧困から抜け出そうとか、もっと裕福になりたいといった考えは持っていないんです。
もうひとつの原因は、頑張っても貧しい生活からは抜け出すことができない、フィリピンの社会状況です。
例えば、ゴミ山で生まれた子供は、どんなに才能があっても教育が受けられないため、大人になったら親の仕事を継いでスカベンジャーになるしか道はありません。
親が路上で物売りをしていれば、子どもも物売りでしか稼ぐ術を学ばないので、親と同じ仕事をします。
4.貧困の連鎖
グローリアセブが奨学金で就学支援しているスラム街の子どもの例を紹介します。
高校1年生になる女の子は、朝の6時から夕方5時まで、路上でお惣菜を売っています。
総菜は、母親が毎朝3時に起きて、自宅で調理しているフィリピン料理。
父親は他界しているため、収入は彼女の稼ぎだけですので、朝から夕方まで、彼女は一生懸命に働きました。
その結果、学校は退学し、今は物売りだけです
彼女が将来結婚して、自分の子どもを出産したときは、彼女自身が総菜をつくり、子どもがそれを路上で売り歩くことでしょう。
これが貧困の連鎖です。
5.貧困解決への政府の取り組みと問題点
フィリピン政府も問題意識は持っていて、貧困対策の予算をつけ、各自治体(役場など)では、貧しい人たちへの支援が行われています。
でも、僕の見る限りでは、それは、災害や飢えなど、緊急に対処すべき問題が起きたときのサポートに集中し、長期的なスパンでの施策は少ないと思います。
国の予算が少ないのでしかたありません。
もうひとつの問題は、政府の対策と貧困層の人たちとの考え方のギャップです。
セブの中心地にある、ロレガというスラム街の例をお話します。
ロレガは、元々墓地だったのですが2015年の火災によって街は消失。
その後、政府が再開発地区に指定し、焼け跡にコンドミニアムの建設を始めました。
木造の簡易住宅に住んでいる貧しい人たちが、安心して住める場所を提供することが目的でした。
しかし、コンドミニアムが完成しても、誰一人、入居するひとはいません。
理由は、入居費が月8,000円と高額だったこと。
そして、今の仕事場から離れなければならないことの二点です。
当初、コンドミニアムの入居費は1,200円程度とされていましたが、立派な住居を造りすぎてしまったため、高額な家賃が設定されてしまいました。
快適な住居より、安価な費用で誰もが住むことができる住宅を、スラムの人たちは心待ちにしていたのですが、家賃が収入の約半分もする住居には住むことができません。
もうひとつの理由は、スラムの人たちは、現在の居住地の近くでモノ売りをして生計を立てている人が多いのですが、コンドミニアムの場所と仕事場の場所が遠く、不便だったこと。
政府は貧困対策のひとつとして、コンドミニアムの建設を行ったのですが、スラムの住人の生活状況とのミスマッチが生じたため、お金をかけて建設した住宅は、貧困層が住むことのできない建物になっています。
6.貧困を解決すべき根本となる策
フィリピン政府は、2020年までに街からスラムをなくすと公約しました。
しかし、2022年現在、スラム街は減ることはなく、貧困率も増えています。
貧困から抜け出すためのアイデア、物資、資金を国が提供しても、相手の考え方が変わらなければ、それは一過性のものに終わります。
意識を変えてもらうことが重要ですが、これはとても難しい。
実際、僕たちが奨学金で就学を支援している子どもたちの中にも、学校をドロップアウトしてしまう子どもが何人もいます。
日本にも貧困の時代がありました。
1940年代の戦中戦後です。
それから約80年が経ち、いまの日本が少しずつ出来上がってきたのです。
貧困を解決するために、これをすれば良い、と言うような決め手はなく、政府が小さなことをコツコツと積み重ね、国民の意識が少しずつ変化していき、経済大国にまでなったのだと思います。
だから、貧困を削減するために、すぐに結果が出る解決策はなく、政治家や指導者が、10年20年と貧困撲滅のための施策を積み重ね、国民に説明し、それが貧困層が実感できるようになったとき、フィリピンは途上国から抜け出しているのではないでしょうか。
1年2年で、フィリピンが急に発展し、貧困がなくなることはないでしょう。
でも50年後、フィリピンは日本のGDPを追い越しているかもしれません。
フィリピンの強みは、1億人以上の人口と、国民の平均年齢が24歳という若さです。
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